宮古市「荷竹」「実田」 2013/1/26

「明日は雪が降るでしょう」
という天気予報を知って、出発をいつもの8時から7時半にしましたが、過酷な道程にだいぶ時間がかかってしまいました。区界峠は積雪して大型トラックの轍でタイヤがとられる状態で、しかも地吹雪で視界は数メートルしかありませんでした。対向車はそれでもライトをつけずにビュンビュン飛ばしてくるので、とても怖かったです。歌いながら気を紛らわせました。
ちなみに歌ったのはゲルニカです。
(世代的に)
午前 10:30-11:30 荷竹
参加者が入室した途端
「来ると知って、用意してましたよ」
と、カエルとふくろうのフェルトマスコットを渡されました。以前、Twitterで手芸用品を募った際に集まった材料を用いて作成してくださったのだそうです。また送らなくては!でも主に作っていた高齢の女性は、諸般の事情で仮設を退去し、今は遠い場所に引っ越してしまったのだそうです。
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他にイチゴのマスコットもありました。
昭和45年の懐メロを歌った時に
「大阪万博の年ですね」
と私が言うと
「国道45号線が整備された年でもあるのよ」
と教えていただきました。荷竹の前の道路が、旧国道だったそうで、ここを真っ直ぐ行けば山田町の豊間根にたどりつくというのも初めて知りました。
この他、小さい頃に海辺に住んでいた皆さんから、子供の頃にお腹がすいたら浜にいって海藻をとって、おやつがわりに食べていたという話を聞きました。「すっけーこ」と「おーぐ」という名称だったそうです。どちらも魚菜市場には売ってないんですねえ、幻の味。
「今は漁業権が無いと、子供が貝を拾っただけですぐに漁協の人が携帯で連絡受けてすっ飛んで来るからねえ。うっかりしたことはできないねえ」
「津軽石川のほっつぁれ(死にかけの鮭)を拾っただけでも駄目らしいからねえ」
と、話はつきませんでした。新巻鮭を仮設で干している人もいる、と聞いて外を見たら本当にありました。カラスがつつかないのが不思議ですね。
アシスタントのなすちゃんと、活動後にお茶をいただきました。参加者のお一人が持参したすがたのいかせんべいをふるまっていただき、美味しく食べました。絶品です。
午後 13:30-14:30 実田
歌っている最中、談話室の窓からこちらを除く男女二人がいらしたんですが、参加していた女性のお子さん夫妻でした。
「あら、ちょっと行ってくるわ」
とその女性がいったん退室して、数分後にまた戻っていらした時に
「いやーまいった」
と言うので
「どうしたんですか」
と聞いたら
「亡くなったうちの夫の命日だった、すっかり忘れてたわーあはははは」
と大笑いされました。なんとゆー豪傑。
リクエストがひっきりなしに寄せられて、休む暇も無くキーボード弾きっぱなしでした。楽しかった!
ここでも宮古市の昔話がたくさんでました。こうやって皆さんのお話を聞いていると、盛岡に住む私もまるで前からこの土地に住んでいるような気になってきます。宮古市に松原があったなんて、皆さん知ってました?

コメント

  1. よしえ より:

    藤原はきれいな松林のある砂浜でした。築地から渡船にのって藤原へ渡り、少し歩くと浜でした。流木を集めて火を焚いて、父が海に潜ってとったウニを焼いて食べたり。遠浅できれいな海でした。
    ホテル近江屋さんの前も浜でしたね。高校生の頃学校を自主早退して、歩いて行った事もあったなあ。

  2. marumaruhitsuji より:

    その頃はウニ、とって良かったんですね。今だったらきっと大変なことに‥ガクガクブルブル‥近江屋さんのあたりが海だったという話はこの時も出ました。埋め立ての範囲、思ったより広大だったのでびっくりでした。

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