避難所巡回時代(2011.4~8)は、当然のことながら被災地のあちこちが混沌としていました。何が必要でどこにだれがいるのかという情報が届きにくい中、全国からこころざしや意気込みを原動力とした支援者が現地入りして、自分ができることを真心をこめて行う人々の活動がそちこちで活発に行われていました。しかし、時間の経過と共に様々な理由で活動の継続が困難になった支援者が去って行き、2012年12月の今は以前の賑わいはすっかり無くなってしまったように見えます。情報が乏しいせいで、ニーズにマッチしない支援を行った人たちは、達成感の無いまま失意のうちに足が遠のいたのかもしれません。
今、被災地の人々にもう支援は必要無くなったのかというと、そんなことはありません。暮らし向きはさっぱり良くなりませんし、前よりも支援者が減ったことによって現地では「見捨てられ感」のような、寂寞としたムードがただよっていて人々の気持ちを暗くしています。「今もあなたがたのことを想い続けています」というメッセージを届け、そばに寄り添う活動が求められています。
復興には時間がかかる、とは前から言われていたことですが、こんなに早くペースダウンしてしまうとは、誰が予想できたでしょうか。
さて、私は音楽療法士という職業を20数年ずっと続けていたお陰で、今回の震災津波で三陸が被災した時には「自分ができる支援」というものが具体的にイメージ出来たので、愚直にそれを体現し続けてきました。音楽には人々の心を明るくして、暮らしに潤いを取り戻す力があると実体験から感じていたのです。
ある日、先輩セラピストが被災地入りした時に
「芸能人や有名アーティストが慰問に来るならその効果も理解できるけど、どこの誰かもわからない音楽愛好家が慰問と称して被災地に入り、素人はだしの唄や演奏を聴かせることに何か意味があるのかしらねえ」
とシニカルに吐き捨てた言葉がとても印象に残っています。支援にいらした方の熱意は無条件で尊重したい気持ちの反面、その先輩の気持ちもわからなくもないなあと思うところもありました。私のオリジナルソングです、聴いて下さい!と言って仮設住宅にご自身のCDを寄付したケースもほうぼうで見かけましたが、住民の方は誰一人このCDを自宅へ持ち帰ってはいません。コーラス同好会の皆さんが慰問に訪れた際も、自治会に動員された仮設住民の一部の皆さん(比較的時間の空いた人々)が
「遠くからありがとうねえ、悪いわねえ」
と言いながら忙しい合間をぬって参加し、居眠りと戦いながら歌を拝聴する、という光景もざらにみられます。
私、なんだかすごく意地悪なことを書いている気がしますが、でもこれは偽らざる「音楽に寄る被災地支援」の一例です。
音楽を始めとした芸術には、人の心を今ある場所から遠いどこかへと運ぶ、そんな不思議な力があります。震災津波といった未曾有の災害を体験した皆さんに、あらたな「楽しい体験」を届けてそれを積み重ねて行くパワーを備えています。
そんな力を発揮するには、対象者である皆さんがどんな音楽を聴けば心地良いのか、どんな技術や知識を駆使して音楽を届ければよいのかを、あらかじめ知っておく必要があります。
支援にいらっしゃる音楽家、音楽愛好家の皆さんは、以下の点に留意していただければありがたいです。
1.仮設住宅の住民皆さん、といった漠然としたイメージではなく「高齢者」なのか「児童」なのか「若者」なのかとある程度具体的に対象者を絞って内容を考える
2.対象者にとって「なじみのある」音楽を準備しつつ、現地でリクエストが出たらある程度それを受け入れる技術力や知識を備えてくる
3.「聴かせる」活動はかなりのクオリティと企画が必要です、対象者が能動的に活動参加できるプログラムも考慮してください
4.歌って、演奏して、時間になったら「はい、さよなら」ではなく、出来れば前後にお話をする時間を設けて、今この土地の人々が何を感じて何を考えているのかを知る機会としていただければ幸いです
5.活動は一回こっきりではなく、できるだけ(頻度はどれくらいでも構わないので)継続してください。「また来ますね」と約束したら、それを果たして下さい。お願いします
コメント
歌うどんぐりさんへ
同感しながら読みました。私が所属している震災サポートの関連団体で音楽関係がありますが、「自己満足ライブ」という点では共通しているでしょう。また、東京に避難してきている被災者たちへ音楽コンサートを催すのですが、素人のクラシックです。私は気をつけたい、注意を促すよう働きかけをしていきます。
このエントリーを近いうちに私自身のエントリーで引用させていただければ幸いです。(さとりMT&CBTオフィス、URLは特定欄に入力済みです)。
さとりさん、コメントありがとうございます。自己満足のライブも被災地の皆さんが喜んで下さるのであれば有意義だと思いますが、たくさんの支援にさらされて「感謝疲れ」をしている方々も確かに存在します。感謝よりもっと別の反応を引き出すことができれば、より素晴らしい支援となるのではないかと思ってこの記事を書きました。他ブログへの引用は自由にしてくださって構いません。