聖徳大学で被災地支援の話をしてきました 2014/5/26

千葉県松戸市にある聖徳大学で、古平孝子先生からお声がけいただき、昨年に引き続き東日本大震災被災地での音楽療法による支援活動についてお話させていただきました。10名ほどの学生さんに向けて90分、PowerPointで画像や動画を挟みつつ、今回は子どもたちのトピックスを中心に構成しました。

下記の文章は、学生に向けて配布した資料の一部です。「歌と体操のサロン」は大人の参加がほとんどでしたから、あまり子どもへ積極的に関与してこなかった我々ですが、三年もやっているとやはりそれなりに濃いエピソードが拾えるものだなあ、と思いました。

1.避難所の子どもたち

(1)宮古市「A小学校体育館」

2011年4月16日、初めて山田町の避難所(C中学校体育館)で音楽療法を実施。3月11日の震災発生から一ヶ月経過しての被災地入りだった。

実際に被災地へ足を踏み入れる前に、自分にはどのような支援が可能なのか、支援を行うために準備するべきこと、備えておくべき知識や心構えなどについて、自分なりにあれこれ考えていたが、とにかく「誰か一人でも音楽を拒否したら即刻中止」という基本的な約束事を自らに課した。大切な家、町、家族、友人を津波で流され、慣れない避難生活で疲弊しきった人々が、過酷な生活を強いられている避難所は、彼らの大事な暮らしの場であり、そこへ土足であがりこんで無神経に音楽を垂れ流すことは害悪でしかない。幸い、避難所にいた一人ひとりに「音楽を流すが大丈夫か」と聞いて周り、誰一人拒否することはなかったので、音楽療法を行うことが出来た。

明けて翌日、宮古市の中心街にあるA小学校体育館で実施することになっていたが、日曜日で開始時間が午前10時だったこともあり、残っているのは高齢者や身体の不自由な方、子どもなど少人数だった。一応、一人ひとりに確認をとって準備を進めていたら、外からやってきた女児がこちらに近寄り

「何をするの」

と聞いてきた。子どもにもわかるように、と平易な言葉で避難所にいる人々を音楽を使って慰めたり疲れをとる活動をする、と伝えたところ

「私、音楽嫌いだからやめて。すぐやめて」

といきなり怒りだした。困惑していると、持ち込んだキーボードのアダプターをコンセントから抜き取り、力任せに床へ叩きつけ、そのまま外へと飛び出していった。我々は女児が不在になってから予定通り音楽療法を開始したが、翌週、そのまた次の週に訪問しても二度とその女児はあらわれなかった。

(2)山田町「B商店街」

毎週末、土曜日の避難所巡回は午前中に宮古市、夜7時から山田町を訪問するサイクルで固定した。その間の数時間をどうしようかと思案していたところ、福祉関係者から被災した知的障がい者入所施設が廃業したホテルで避難生活をしており、入所者たちが心身ともにまいっているから音楽療法を提供してくれないか、と打診してきた。これ以降、施設でセッションを行い、夜になるまでは山田町の被災した公園で過ごすことが多くなった。この公園には近隣の小学生、中学生が集まり、遊び場として賑わっていたので、休憩中の我々に興味を持って近づいてくる子も少なからずいた。仕事道具の中にはアートバルーンの一式も入っていたので、遊び道具になればと思ってプードルやうさぎなど動物の形に作った風船を配布していたのだが、年長の男子たちがもらった風船をいきなり足で踏み、破壊しはじめた。それを見た低学年の子たちも真似して同様に破壊。すると何食わぬ顔で

「また壊すから、作って」

と言ってきた。その後、何度か公園で子どもたちと接触したが、風船を欲しがることは無かった。

(3)山田町「C小学校体育館」

二度目の訪問時、活動前に担当保育士が避難者に向けた諸連絡を行っていた最中、外国人の母親を持つ女児と男児の姉弟がもっていた絵本を見て楽しそうに笑い声をあげていたところ、遠くの方から「うるさい、連絡が聞こえないから黙れ」という厳しい叱咤が飛んだ。見知らぬ大人に怒鳴られた子どもたちはすっかり萎縮して、その後黙り込んだままだった。この頃は避難所生活が長引き、誰もがストレスと体力の限界で感情のハンドルにあそびが無かった時期であった。件の姉弟とはその後、別の避難所での音楽療法で再会し、リクエストを聞き出して童謡などを一緒に歌う機会に恵まれた。

活動内容

参加者からリクエストを募り、会場全体で歌う歌唱活動、体操など

2.仮設住宅の子どもたち

(1)宮古市「D」

震災発生から4ヶ月が経過し、三陸沿岸のあちこちにあった避難所は徐々に閉鎖され、被災者は自治体が用意した仮設住宅へと転居した。2011年10月1日、宮古市社会福祉協議会との連携が取れ、初めて仮設住宅談話室で音楽療法を行うことになった。住民数名と子どもたちが参加して1時間ほどのセッションを行ったが、用意していた歌集や活動内容は高齢者のみを想定していたものだったので、子どもたちをどう巻き込めば良いのか考えあぐねていたのだが、セッションの終盤に子どもたちが自ら

「ばあちゃんたちに、懐かしい小学校の校歌を歌ってあげたい」

と申し出て、女児数名による合唱が実現した。

活動内容

サイコロを用いたゲーム、ホワイトボードでの落書きなど

(2)宮古市「E」

宮古市は社協の方針で、管内にある仮設の内23箇所を週替りで訪問してほしい、とのことだった。同じ仮設へ次に訪問するまで、三ヶ月ほど間があく。その間に住民の移動や、談話室利用者の入れ替わりなどがあり、初年度はなかなか参加者が定着しづらい背景があった。E仮設は宮古市内外れにあり、交通アクセスが不便なことから、音楽療法をはじめ様々な支援ボランティアのイベントが企画されていたが、日中にいるのが高齢者と子どもたちだけということもあり、音楽療法は高齢者を、大学生グループは子どもたちの相手をしていることが多かった。Eの子どもはエネルギッシュで、言動がとても子どもばなれしていたことから、音楽療法スタッフの一人が子どもから暴言を吐かれてショックを受け、しばらく立ち直れないほど「荒れた」状況が続いた。

(3)大槌町「F」

仮設巡回は当初、宮古市のみを行っていたが、NPOのつてを通じて2012年4月から大槌町の仮設巡回を開始する機会を得た。海辺にほど近いF地区の小学校敷地内に設営されたF仮設へ初めて訪問した4月21日、到着が15時半過ぎだったこともあり、談話室の中には学校帰りの男子小学生数名がいて、各々カードゲームに講じたり、備え付けのパソコンからゲームの攻略サイトを閲覧するなどの様子が見られた。これから大人の住民を対象に音楽療法を開始するが、もし一緒に参加したかったらいても良い。ただし、ゲームをしたいのであればよそに移動してほしい、と呼びかけたが全く反応は無く、再度同じ呼びかけをしたところ面倒くさそうにぞろぞろと退室していった。

数カ月後、再びパソコンの前にいた男子に同じような趣旨を説明したところ、頭から上着をかぶり、パソコンのモニターを隠すように音楽療法の時間中ずっと滞在して、攻略サイトの閲覧を続けていた。

(4)大槌町「G」

基本的に宮古市を巡回後の大槌町巡回は、16時開始の場合が多く、15時半に談話室へ入ると前述のFのように学校帰りの子どもが遊んでいることがある。Gは近隣の小学校から仮設住民ではない小学生、中学生がやってきて、子どもだけで遊んでいることが問題視されているが、我々が訪問した際に出会った児童・学童たちは保護者が仕事から帰ってくるのが遅く、エネルギーをもてあまして我々にぶつけてくるような接し方をした。回数を重ねるごとに、こちらの訪問を待ち受けたり、前回の遊び方を再度リクエストしてくるなど、心待ちにしている様子。しかし、音楽療法の開始時間に大人たちが集まってくると、子どもたちは外で遊べ!と有無を言わさず追い出されてしまう。

活動内容

追いかけっこ、かくれんぼ

(引用ここまで)

岩手県教育委員会が2012年に行った「心とからだの健康観察」アンケートによると、県内の公立小中高・特別支援学校の児童生徒13万5659人のうち「震災によるストレス反応」を示したのは、小学生1万1218人、中学生4467人、高校生4001人だったそうです。私が三年間、被災地で見かけた子どもたちも、暴力的だったり、衝動を抑えられなかったり、感情の起伏が激しかったり(もしくはその逆だったり)、不穏な様子がいくつか散見されました。これから、仮設の再編成や転居などで大人向けの活動に隙間が空きそうなので、徐々に子供向けの活動も増やしていきたいな、と思っております。

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