強風の中、少々遅れ気味に大槌町へ到着。集会所から賑やかな声が聞こえてきたので、もうどなたかいらしているのか?と思ったのですが、玄関に散らばっていたのはどうみても中学生くらいの男の子のスニーカー数足。風呂場のほうでわいわいとゲームをしているような感じでした。
16:00- 小槌第20
さて、肝心の参加者が時間になっても来ません。外は低気圧の影響でどんどん風が強くなってきています。
10分過ぎにようやくお一人の女性が。
「‥誰もいないの?」
「はい」
「そう、じゃあ呼んでくるわ」
そうして犬の散歩帰りの方、食事支度の最中の方など3名連れて戻ってきてくれました。ありがたや~。
「ちょうどこの時間はみんな忙しいから、集まらないと思うのよねえ」
「もっと早く来てくれればいいのに」
うう‥すいません。宮古市の後だと、どうしてもこの時間になっちゃうんです。この人数でも、来ていただけるだけでありがたいです。
正味40分ほどでしたが、矢継ぎ早にリクエストをいただき、かなり濃密な時間となりました。踊りも出ましたし。昔の歌はやっぱりいいねえ~との感想もいただきました。
帰り際、ゲームをしていた中学生のうち一人が、我々のいる部屋に来て何やら探し物を始めました。
「どうしたの僕、何が無いの」
「帽子が‥」
「帽子?どれおばちゃんたちも探してけっから」
しばらく探しましたが、見当たりません。
「ないねえ。僕、どこから来たの?」
「××町です」
ここで私、びっくり。この子たち、仮設の子じゃないんだ。町内でも無いみたい。
「いつからここで遊んでいるの?」
「午後1時から‥」
「鍵は?」
「空いてました」
誰かにことわってからここに入ったのかどうかは聞けませんでしたが、別の子が「あったよ帽子」と声をかけると、挨拶もしないでまた風呂場へ戻っていきました。
17時になり、参加してくださった皆さんが自宅へ戻る際
「‥あの子たちはどうしましょうね」
と聞いたところ
「ああ、遠慮しないで追いだしちゃっていいよ!ガツンと」
と言われたので、荷物を運び出している最中に風呂場へ行き
「おじさんたちもう帰るから、君たちも出なさい」
と促しました。素直にみんな、外へ出ました。多分みんなスレてもいないし聞きわけの良い子たちなんだと思います。ただ見知らぬ大人には挨拶をしないだけで。
被災地では学校の校庭に仮設住宅があったり、それまで遊び場だったところが津波でなくなったりして、子供たちには過酷な環境であることは分かります。でも、大人の預かり知らないところでこういう溜まり場がどんどん出来て常態化してしまうことの危険性を私は深く憂慮します。Twitterでやり取りをしている方から、阪神淡路大震災の時の話を教えていただきましたが、空いた仮設住宅がいわゆるヤンキーの巣窟になってしまったそうです。
仮設住宅を見守る役割を誰がするのか。
それをどの機関が支えるのか。
3年目に入って課題はまだまだ山積しています。
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