岩泉町「中島」「滝の上」2019/4/29

10:30- 中島

久々の岩泉町です。ここ数ヶ月、いつか再び岩泉の皆さんとお会いすることを念頭に、文献を漁りまくって各地の方言や伝承を(泥縄ですが)仕入れておりました。さて、成果のほどは?

IMG_6013

午前中の中島地区は、お馴染みの床ベコベコ公民館です。集まってくださった皆さんはいつもこのベコベコした床の上で体操や集会を行ってます。台風の際の水害で、水没した影響なので仕方がないのですが、とてもお気の毒です。早く修繕されますように‥。

歌と体操のサロンではお馴染みの懐メロ歌唱、脳トレと一緒に椅子に座ったままの有酸素運動や、紅白の旗を振り回してフラ「オケカイ」を踊りました。

IMG_6020

活動の合間、皆さんからは近所の山でとれる山菜や木の実のことを教わりました。小さい頃におやつが食べられなかったので、木の実はお腹がふくれる大事な財産だったとうかがいました。

また、今回の水害の話から昭和30年代に発生した三陸フェーン火災の思い出話もうかがいました。実際に近所が山火事になり、避難した方が数名いらしたのですが、目の前が火の海で、火の粉は風にあおられて真横に飛んでいたのだそうです。この当時で数十億円もの被害があった三陸地方は、山も川も驚異となる過酷な土地なのだと、あらためて思い知りました。

13:30- 滝の上

こちらの仮設住宅は、近々皆さん転居して公営住宅などで新生活を始める予定だとうかがいました。災害発生から二年半超を過ごしたこの土地、実は昔は高校が建設される予定だったのが、あまりに山が近いからという理由で取りやめになったそうです。

IMG_6032

岩泉町はとても広い自治体で、ここ小川地区は比較的盛岡に近い場所にあります。昭和初期には炭鉱が産業として発達して、従事していた坑夫たちが好んで食べたという炭鉱ホルモンが現在でも名物として残っています。昨年は炭鉱ホルモン祭りというのが開催され、賑わったそうです。

IMG_6783

そういった思い出話から、お一人の方が

「シラミが流行ったことがあってねえ」

と子供時代の苦労話を聞かせてくれました。当時、カンテラという照明器具にカーバイトという燃料を使っていた、とか。松から採取した油でおこした火を使ってシラミのついた服を炙っていたなど、知らないことばかりでした。

最後は全員で炭坑節を歌い、踊りました。

「これでお別れなんでしょうかねえ、またどこかで我々が参加できるような集まりがあるといいんだけど」

と終了時に言われ、絶対また皆さんとお会いできる機会を作ります!と約束しました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました