午前10:30- 滝の上
二度目となる岩泉町滝の上仮設は、岩泉町の入り口となる小川地区にあります。盛岡から入って最初にある道の駅「三田貝分校」から割とすぐの場所ですが、集落の中心部を流れる川が氾濫した爪痕が二年経過した今でもそのまま残っていて、非常に胸が痛みます。役場支所で当直の方から集会所の鍵を借りて、現場へと向かいました。名前が示す通り、一段高くなった丘の上にある仮設です。
最初に足を運んで下さった方は、前回のサロン終了後すぐに部屋から岩泉町ヨーグルトを持ってきて、我々にふるまってくださった方です。他にも次々といらして、総勢4名のご参加となりました。前回のサロンのことを皆さんとてもよく憶えていてくださって、心待ちにしていたと言われました。嬉しいです!
個人的に興味を持ってここ数か月、ずっと岩泉町の方言や風習などを調べていたのですが、入手できたのは一番山奥の安家という場所の方言だけだったので、小川ではどういう言い回しになるのでしょう?と皆さんに問いかけながら、活動を始めました。一番盛り上がったのは
「しらみぽうろぎ」
という言葉です。これは貧乏ゆすりを指す単語なのですが、戦後に子供も大人もシラミにたかられてDDTを振りかけられた!という思い出話から始まり、ホイド(何と表現したら良いでしょう‥ホームレスというか物乞いする人のことです)の話題まで、多岐に広がりました。その後、懐メロ(女性歌手)をいくつか歌ったあと、アシスタントなすちゃんがあてふりを披露して拍手喝さいを受けました。
そして‥またもや同じ方からチーズケーキとおまんじゅうを差し入れしていただきました。何でも、妹さんが手作りしたものだそうです。ありがたや!
午後13:30- 中野
岩泉町駅からほど近い、龍ちゃんドームという体育館脇にある中野仮設に到着すると、保健師さんが我々を待っていてくださいました。ここぞとばかりに、仮設住民の方々の健康状態や支援のことなどを教えていただきました。キリスト教会のボランティアさん、カリタスさん、その他に岩泉町で最近設立されたNPOや他の地域のボランティア団体など、多種多様な支援が岩泉町にも入って活動しているそうです。
時間過ぎ、お一人が部屋にいらっしゃいました。前回もたくさんお話をした方です。生まれも育ちも岩泉町というこの女性からは、昭和20年にあった不思議な出来事を教えてもらいました。
「終戦前の暑い時期だから、多分昭和20年8月のはじめだと思う。自宅の目の前にあった畑で夕方暗くなるまで仕事をしていた私は、少し離れた丘から赤い火の玉のようなものが近づいてくるのが見えました。それは花火のようでもあり、風船のようなものでもあり、でもあたりが昼間のように明るくなるほどの光を放っていました。やがて火の玉は畑の真ん中に落ちてしまいました。一緒に作業をしていた近所の人たちは、川の中にいたのですが、やはり同じように昼間のようだったと言いました。あれは一体何だったのか、誰も知っている人はいませんでしたが、今考えると戦争で亡くなった方の魂がふるさとへ帰って来たんじゃないかと思います」
聞き終わった頃、もう一人の参加者が入室。この話はこれ以上は聞けませんでした。私もとても不思議だなあと思いつつ、活動を開始しました。
ここでは童謡唱歌(テーマ秋)を多く歌いました。特に「里の秋」は山奥にある岩泉町のイメージにぴったりなので、私も伴奏していてとても感情が入りました。歌詞の3番で、南洋戦線に出兵していたお父さんが船に乗って復員してくる下りがあり、先ほどのエピソードも相まって、非常に味わい深い歌となりました。
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