宮古市「なかよし公園」「鍬ヶ崎」 2011/12/3

この日は雨でした。とても冷たい雨。
不慣れな宮古市の住宅街を右往左往しながら、指定された仮設を探していた我々は途方に暮れていました。
やっと到着したそれらしき場所には、談話室はありませんでした。
携帯から生活復興支援センターの職員さんに電話をかけて聞いてみても、さっぱり理解できません。だって談話室、いくら探しても無いんですから。濡れてはいけない電子楽器や紙の歌詞を抱えたまま、イライラだけがどんどん募っていきました。
そして一瞬でそのイライラは消失しました。
場所、間違えていたんです。
指定された仮設は、そこから数100m下ったところでした。
この時、電話で対応してくださった職員さん、本当にごめんなさい。
午前 10:30-11:30 なかよし公園
西が丘の住宅街にあるこの仮設は、盛岡からやってきた私にはちょっと難易度の高い場所にありました。
徐々に強まる雨脚に負けぬよう、急ぎ足で談話室に荷物を運びいれると、中には4名の参加者と社協職員さんがいました。
10曲ほど、みんなで歌唱しまして、ストレッチや体操を行いました。
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お一人の男性から「異国の丘」をリクエストしていただき、歌った後で
「実は昔、シベリアに抑留されていたんだ」
というお話を聞きました。
私が行っている音楽療法の主な目的は、歌を歌うことも大事ですが、その歌が歌われていた時代を思い出して周囲の皆さんと一緒にお話をすることにあります。そのためには、私自身も歌と歌の背景を熟知する必要があります。
「異国の丘」はシベリア抑留を経験された方にとっては、特別な歌だということが、この日あらためて思い知らされました。
活動後、一人の参加者さんから声をかけられ
「実は昔(智田が行った)音楽療法の経験がある」
と言われました。何と奇遇な!
しかもそれを、わざわざ言いにいらしてくださって、本当に有難かったです。
午後 13:30-14:30 鍬ヶ崎
鍬ヶ崎、金が無ければ秋が崎。
かつて遊郭があり、宮古市で一番賑わっていた町がここ、鍬ヶ崎です。
前にこのブログで紹介した「魚正」というお寿司屋さんも、この鍬ヶ崎にあります。
「あうぇーこ」と呼ばれる、とても細い路地があり、映画館やストリップ小屋(!)もあった鍬ヶ崎は、今回の津波で見る影も無く破壊されてしまいました。
私がこの日に訪れたのは、鍬ヶ崎小学校のグランドに設置された仮設住宅の談話室です。
7名の参加者と、一人の社協職員、そしてボランティアの男性がいらっしゃいました。
たくさんの歌を歌いつつ、皆さんからかつての鍬ヶ崎の暮らしや住民の話を聞くことができました。
とても、とても面白い話でしたよ!!
本当に鍬ヶ崎はエピソードが豊富なところです。
帰り道は小高い「オクマン様」(熊野神社)を横目に帰ってきました。
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