まず、トイレ。
そして食べ物。
休憩場所。
ガソリン補給。
避難経路。
震災直後の被災地で、支援にあたった我々がぶち当たった難題、困ったことの筆頭です。
コンビニはいつも、どこでも満員でした。特に、山田町の豊間根や大槌町のマスト近くにあるローソンは駐車場に入るまで時間がかかるほどでした。コンビニのトイレに入ろうとすると、もっと長い時間待たなければいけませんでした。
チキン、すんごい売れていたらしく、保温ケースの中には山積みになっていたのが懐かしく思い出されます。
多種多様のゼッケンをつけた支援者でごった返すあのコンビニの光景は、一生忘れることはないでしょう。
「コンビニの弁当やおにぎりでは食べた気にならないので、ちゃんとした食堂でご飯が食べたいです☆」
という、うちの研修生の生意気な主張のせいで、私は昼食と夕食をなるべくコンビニ以外で済ませるようにしました。とはいえ、やはり営業している店には限りがあります。
そんな状況で、昼と夜ともに同じ店で食事をとる、というのは珍しくありませんでした。
今日は当時の記憶を辿りながら、店とメニューをご紹介したいと思います。
(前置きが長くなりました)
宮古市 富士乃屋食堂
宮古市の町中にある、地元の方にはお馴染の食堂です。
毎週通っていた宮古小学校からほど近いこともあって、何度も通いました。メニューが多く、二階席もあったのでいつも待たずに入ることができました。
見よ、被災地にあってこの豪華さ!
(当時研修生3人分も食事代を支払っていたので、だいぶ散財しましたが)
中華ばかりではなく、和食もありましたよ。
ここの有難いポイントは、会計の時に
「また来てくださいね」
と割引券をくれるところです!いえー!!だいぶ助かりました‥。
山田町 笹
豊間根の避難所に何度も通っていたので、ここの利用率はものすごく高かったです。震災直後はメニューが限られていましたが(殆どラーメンで、丼が少々)徐々にバリエーションも増えて、毎回注文を変えて楽しんだのをおぼえています。
坦々麺、大好き!!
たまに贅沢してトンカツなども‥。
宮古市 福
宮古市のラーメンは魚のダシで、あっさりとしたスープにちぢれた麺が特徴です。
「たらふく」「あんばいや」「ぴかいち亭」(はちょっと毛色違いますが)などが有名ですが、私は何と言っても昔「はなふく」という名前だった頃からこのラーメンが大好きです。
漫画家の西原理恵子さんをお連れした時は
「何この貧乏ラーメン」
とディスられましたが、このシンプルで質素なたたずまいが良いのですな。余計なものが何もないのが潔いと思います。
(ディスってますが、西原さんもこのラーメンは気に入っている様子)
復興が進むにつれ、被災地でとる食事も選択肢が増え、震災前と変わらない状況で好きなものを食べることができるようになりました。ありがたいことですね。
宮古市、山田町にはこのほかにも美味しいお店がたくさんありますので、また機会があったらご紹介させていただきますね。
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