過去に書いた報告書から転載します。
東日本大震災および津波の被災地である岩手県宮古市と山田町を訪問し、避難所で生活する方たちへ音楽療法を実施してきました。研修生ほか、3名が同行しました。
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
入口で初日に風船遊びをした女児たちから
「どこかで見た人だ」
と声をかけられましたが、彼女はそのままどこか別の場所へ遊びに行きました。
校庭では宮古小学校の児童たちがサッカーや野球の練習をしていて、それを避難民が暇つぶしに眺めていました。児童らが日常を送っている光景と、片隅に被災者が生活している光景のコントラストが、見る者に不思議な印象を与えています。
入口ではAさんが自身のスペースで座禅を組んで目をつぶっていました。小声で挨拶をして横を通り過ぎ、いつもの場所でキーボードを設置して曲を静かに弾きはじめると、自主的にAさんがやってきて椅子に座り、リクエストを口にしました。
今回はいつもの映画音楽にくわえて、バッハのオルガン曲が聞きたいとのことだったので、わかる範囲でトッカータとフーガ二短調を弾きましたが
「あまりちゃんと弾けていない」
と叱られました。
次々と新たな洋楽(カーペンターズ、ビートルズ、サイモン&ガーファンクル等)のリクエストに答えて弾いていましたが、テーブル席に50代後半くらいの女性(初参加)がやってきて、こちらの活動を興味深そうに眺めていたので、数冊の歌集をお渡しして
「何か唄いたい曲や聞きたい曲があったら申しつけてください」
と告げました。
遅れてやってきたBさんのリクエストにも応えているうち、その女性から山崎を通して数曲のリクエストをもらいました。女性はリクエスト全部を聞き終わらないうちに、リクエストカードを持ったままどこかへ行ってしまい、あとはAさんとBさん二人の話を聞くうちに終了時間を迎えました。
山田町 14:00-15:00 はまなす学園
はまなす学園訪問のきっかけとなった宮古市在住の福祉コーディネーター氏から連絡を受け、県内の施設から支援部隊が来て屋台(ポップコーンと綿あめ)を出すから、早めに会場入りしてほしいと言われました。いつもより1時間早い午後2時に到着すると、テレビの取材(テレビ朝日とNHK)が入っていて、いつもより人が多く賑やかな雰囲気でした。
私自身も数日前にNHKから取材依頼があり、音楽療法の会場で数名の入所者と一緒に待機している最中にスタッフから挨拶をされました。
午後2時になり、見知らぬ人間が大勢いる中で活動を開始しましたが、入所者の皆さんは臆する様子もなくのびのびと楽しんで参加している様子でした。しかし、リクエストを受け弾いた「おどるぽんぽこりん」で皆が楽しく踊っている最中に、スタッフから
「それは他局の番組で使用されている曲だから、できればNHKの忍たま乱太郎など使ってもう一度踊りの場面をやってくれないか
と研修生に注文が入り、これを聞いた私はメディアの取材についてメリットだけではないと痛感しました。
(この後、豊間根中学校に到着した時にちょうどテレビ画面いっぱいに我々の活動が映し出されていました。遠くにあったので音声は聞きとれず、取材された内容がどう編集され放送になったかは確認がとれませんでしたが、翌日以降は多くの人から反響をいただきました。その大半は好意的な激励でした)
山田町 19:00-20:00 豊間根中学校
5週間ぶり、二度目の訪問となった避難所では、担当保健師さんが集計してくれたリクエストをもとに、この場所限定の歌集を使用して活動を行いました。初の試みです。
これまではこちらが大きな模造紙に筆で歌詞を書き、広い会場に散らばる人々へ向かって提示していましたが、これは角度や距離的に見えにくいという声もあり、できれば個々の手元に歌詞を届けたいという気持ちがあり、今回実現しました。歌集の中には英語の歌もあり、全員で発音に四苦八苦しながら歌いつつ、笑いも出て大変盛り上がりました。
また、歌の中で台詞のある曲がいくつか含まれていて、それも歌集に記載しました。
季節の移り変わりとともに、避難所となった体育館の室温も上昇し始め、蚊や蠅などの害虫、そしてノロウイルスなどの発生が懸念されてきた頃です。
不自由な避難所生活を強いられた皆さんのストレスと疲労はピークに達しつつありました。
そんな中でも、私のような外来者に向けて暖かい言葉をかけて下さる皆さんには、本当に頭が下がる想いでした。
リクエストカードを配布した際、大人にまじって小学生の子供たちも
「私たちも書いていいの?」
と、おずおずと手を伸ばしてきたので、笑顔で手渡しました。
どんなリクエストをよこしてくれるのか、楽しみにしていましたが、結局その紙は回収されることはありませんでした。
また逢える機会があったら、この時のことを聞いてみたい気持ちがあります。
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