10月 21

避難所巡回時代九回目 2011/6/11

過去の記録から転載します。
6月13日(土曜日)、東日本大震災および津波の被災地である岩手県宮古市と山田町を訪問し、避難所で生活する方たちへ音楽療法を実施してきました。研修生二人も同行しました。
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
いつもの場所にはゲームをしている小学生男児三名と、高齢の女性が座っていました。Aさんは配置換えがあり、向かって右側の真ん中に休んでいました。迎えに行くと「待ってましたよ、これだけが楽しみで」と言って起き上がりました。それを見た小学生たちは「音楽療法はじまるの?」と言いながら気を使って場所を移動しました。
Aさんは最初に「太陽がいっぱい」をリクエストしてきたので、持っていたパソコンでアランドロンの動画を見せながら、曲を弾きました。先週も同様に提示したことを、Aさんはおぼえていない様子でした。その後、研修生とオノヨーコや歴史上の人物についての話をして盛り上がっていました。
長机に座っていた高齢の女性にはもう一人の研修生がリクエストの聞き取りを行いました。「夜霧よ今夜もありがとう」「兄弟仁義」「兄弟船」「アンコ椿は恋の花」「二輪草」「星影のワルツ」などが挙げられて、全て弾き歌いしました。この女性Eさんは去年、病気で母親を亡くし、ご自身も癌をわずらって闘病中に津波にあったということです。Eさんは一曲が終わるごとに拍手をしてくださいました。
隣にいた女性(何度か参加して赤い靴のタンゴをリクエストした方)Fさんは「雪椿」「女の意地」「君影草」「夫婦橋」をリクエストして、曲の合間に出身地近くの大きな町に奈良光枝がリサイタルに来て見に行った想い出を話しました。
今回、初めて手作りのケーキを焼いてきたので、玄関にいた市職員の女性(研修生の高校の先輩)に事情を話し、昼食時に出す許可をもらいました。避難所の代表の方(交代して比較的若い男性)にも許可をもらい、包丁を避難されている方(小学生男児の御家族)にお借りしました。音楽療法に参加してくれている方からは「美味しい」と言っていただけましたが、他の方に「どうぞ」とすすめても返事がありませんでした。
いつも参加していたBさんが先週から見当たらなかったので、市職員に聞いてみたところ、仮設住宅に入居したとのことでした。体育館を仕切っていた段ボールが大量に折りたたまれていて、避難所全体の人数もだいぶ減ってきていました。
玄関での受付や、食事の運搬など雑事を担当している自治労の方に話を聞くと、この避難所は近所の弁当屋から仕出しをするようになっているとのことでした。他の避難所では調理室を使って自炊している様子もありますが、自治体や場所によって対応が異なるのかもしれません。
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山田町 14:00-15:00 はまなす学園
約束の時間より少々早めに到着し、入室すると中ではおやつの時間でした。一人4枚ほどのラスクと、コップ一杯のお茶で和やかな休憩時間を過ごしていました。
活動の導入は「北国の春」、次に先週も行った「いとまき」を交えた手遊びの踊りと、CMソング「この木なんの木」に振り付けをつけたダンスを踊りました。室内には入所者が21名、職員が4名いて、この大人数がそろって集中できる活動はダンスが一番なのだと感じました。
次に楽器を配布し、「おもちゃのチャチャチャ」を演奏した後に急きょ「はまなすぽぽぽ」という曲を作って「何なにが好きな人は手をあげて」と繰り返しながら、歌いました。こういったコール&レスポンスの形で歌をすすめるのも皆さん好きなようです。
先週、ギターを弾けると言っていた男性に使ってもらおうと持参したギターを渡したところ、彼は自室から自分のギターを持ってきて、「明日がある」を弾きはじめました。この男性はその後も、キーボードの演奏に合わせてギターを弾きました。キーが合わないところは、こちらが合わせました。
最後にリクエストをとり、「ひと夏の経験」「ちょうちょ」「およげ!たいやきくん」「兄弟船」「ドラえもん」「わたしの青い鳥」を歌いました。曲の合間に、歌集を作ったほうが良いか?と聞いたところ、多くの人から「作ってほしい」との要望が出たので、いずれはまなす学園専用の歌集を作成することにしました。最後に「ドレミのうた」を歌い、終了しました。
屋外に出ると、一週間のボランティア活動を終えた青森県の職員さんたちが帰るところでした。入所者の多くが手を振って別れを惜しんでいました。
山田町 19:00-20:00 山田町大沢ふるさとセンター
二階建ての公民館のような建物の一階奥に入り、座敷のような広い部屋にキーボードを設置しようとしましたが、長机のようなものが一切見当たらなかったので、玄関脇にあったパンの箱をお借りして、台にしました。対象者は高齢者が8名(男性1名は途中退室)と職員2名。開始前に昭和20年代、30年代の流行歌を弾きながら「この年代の歌を主に歌いますが大丈夫ですか」と聞きました。「リンゴの唄」「勘太郎月夜唄」「満州娘」から導入し、いつも通りストレッチや回文、あてふり、寸劇などをまじえて「お富さん」「旅の夜風」「青い山脈」「憧れのハワイ航路」「お座敷小唄」などを歌いました。
開始前から、我々の姿を見かけた人が調理室で「ほら、音楽の人来たみたいだよ」と声をあげていたように、音楽療法への期待があったようです。参加した皆さんも、非常に表情良く、また反応も良く、全ての活動において楽しんでいる様子でした。同席した職員二名は活動中は全く声を発しませんでしたが、参加者に「古い唄ばかりだったけどわかった?」と聞かれて「一曲くらいなら」と答えていました。
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この避難所は他の場所と違い、居室が複数にわかれていて、今回お邪魔した部屋はそのうちのひとつでした。他の部屋ではもう少し若い人たちが車座になって食事をしていたりと、別に生活をしている状況がみてとれました。
山田町の街中にある公園に津波で流された商店主が集まり、仮設テントでよりあい商店街をしているとニュースで知り、様子を見に行きました。本屋、花屋、写真屋、保険代理店、自転車屋、それにお菓子屋が入っていました。本を二冊買い、公園でしばらく佇んでいると小学生男児の集団がやってきて「何かちょうだい」と言ってきました。車にちょうどバルーンをつんでいたので、プードルなどを作って差し出したら、子供たちがそれをもぎとって地面にふみつけて割って遊び始めました。被災地の子供はストレスがたまっているのかな?と思った光景でした。

10月 16

避難所巡回時代八回目 2011/6/4

記録を転載します。
この日、宮古では研修生が一人だけ同行しましたが、山田町は単独で行いました。
私はこれまでずっとアシスタントをつけずに何もかも一人で行うスタイルで仕事をしてきたのですが、この避難所巡回をいざ単独で行ってみると、かなり体力的・精神的にキツいものがありました。
なすちゃんの不在も大きな要因のひとつでした。
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
キーボードを設置していると、珍しく小学生三名が近寄ってきました。椅子に座ったので、一番年長の女児に歌集を渡しました。他の男児二人は椅子に座ったものの、携帯ゲーム機に夢中でした。年長の女児に「何か聞きたい曲あるかな」と聞いて、その答えを待っている最中に彼女の母親らしき大人に手招きされて、三人ともどこかへ行ってしまいました。
居住空間に寝ていたAさんに声をかけて、椅子まで誘導し活動を開始しました。Aさんには「ニューミュージックのすべて」という楽譜集を最初に渡して、そのからリクエストを出してもらうようにしました。Aさんはじっくりと目次を眺め、その中からイルカやオフコース、谷山浩子、井上陽水、泉谷しげるなどがリクエストされました。
一通り歌が終わったあと、Aさんが自分の半生を語り始めました。そして我々音楽療法士の活動に対しては
「毎週のこの時間が楽しみで生活している。いつもテープやラジオで音楽を聞いているけど、震災以来これほど音楽を身近に感じることができるのは他にない」
と言い、パスカルの「魂を極める音楽」という言葉を引き合いに出しました。
しばらく後にCさんが来て「今日はあのお姉ちゃんいないのか」と研修生の不在の理由を聞いてきました。首にネッカチーフを巻き、柄物のシャツを着ていて、先週よりお洒落な格好をしていました。前回のリクエストである都はるみ「千年の古都」を弾き歌いすると、Aさんから「良い曲だねこれ、初めて知った」と感想を言われ、満足そうな表情を浮かべていました。
一番キーボードの位置に近い場所で生活しているDさん夫妻に対し、活動終了の挨拶にうかがったところ、旦那さんは若い頃に都会でギターの流しをして生計を立てていたという話を始めた。今でも数千曲もの唄をそらんじているとのこと。10年近く前に三陸へ夫婦で引っ越してきて、新生活をスタートさせたのだが、運悪く海岸近くに住んでいたので今回津波の被害に遭い、避難所生活を余儀なくされた。夫婦で身体障がいを抱えていて、これから生活の見通しがつかないと言っていました。
片づけを終えて避難所を去ろうとした時、皆さんから「今日外でバーベキューやっているから、食べていきなよ」と言われました。音楽療法訪問者としては避難所で食べ物をいただかないように決めていたのですが、冒頭の女児がわざわざ外まで言って我々の分を持ってきてくれたので、ありがたくいただくこととしました。
山田町 14:30-15:00 はまなす学園
 
定刻に到着すると、玄関先で一人の入所者が出迎えてくれていました。「今日は一人なのか」と聞かれて「そうです」と答えると、大変だろうからと一緒に荷物を運んでくれました。
今回は歌で導入した後に、キーボードのリズムをずっと流しながら上半身を中心としたダンス活動を行いました。この日は北海道からボランティアの若者が数名来ていて、入所者と一緒に楽しそうに踊っていました。
 その後は参加者からリクエスト曲を募り、7曲ほど歌った後に終了しました。
山田町 19:00-20:00 山田町豊間根生活改善センター
 
二回目の訪問となる避難所でしたが、少し早目に会場入りすると屋内には人が殆ど見当たりませんでした。唯一残っている男性の話では、隣の保育所でボランティア団体主催のイベント(マジックショー、出張美容院、炊き出しとワインの試飲会)が開催されていて、そちらに大勢出かけているとのことでした。
開始時間近くなって、ようやく人が集まってきましたが、その中にワインの大瓶を手にした男性がいて、ろれつが回らず千鳥足の状態でした。
「今日は女連れじゃないのか」
と言ってきたので
「お休みをいただいてます」
と答えると
「じゃあ代わりに俺が歌ってやるよ」
と言いました。この他にも酩酊状態で騒ぐ男性が二人ほどいて、館長(避難所を取り仕切っている方)がやんわりと諭していましたが、ワインを床にこぼしたり、転倒して他の人の上に覆いかぶさるなど、徐々に周囲への影響が大きくなってきました。すると、一番奥の壁際で事態を静観していた20代の男性が、酩酊している男性に向かって
「いい加減にしろ」
と大声で怒鳴り、この男性を追いだしてしまいました。
事後、館長さんから
「あの(酩酊していた)男性も、本当は良い人なんだけど、津波のせいで漁師の仕事が出来ない辛さ、悲しさで酒を飲んだんだと思う。どうか悪く思わないで下さい」
と言われ
「気にしてません、また来ます」
と伝えました。
帰り道、誰もいないひとりきりの車を運転しながら、今までにない寂寞とした思いがしました。そして暗い山道の中で、自分は何のために、誰のためにこのような活動を“誰にも頼まれていないのに”行っているのか。これからも続けられるのかを自問自答し続けました。今でも思い出します。
この日の翌日は早朝から新幹線に乗って、新大塚の東邦音楽大学を会場に災害対策特別講習会というイベントで話をするため上京しました。さすがに体はキツかったですが、前日の帰り道でずっと考えていた
「自分が被災地で行うべきこと、その際の心のありかた、持ち続け方」
を見いだす機会をいただいたような気がします。

10月 08

避難所巡回時代七回目 2011/5/28

過去に書いた記録から転載します。
5月28日(土曜日)、東日本大震災および津波の被災地である岩手県宮古市と山田町を訪問し、避難所で生活する方たちへ音楽療法を実施してきました。同行者は研修生2名。いつも運転などを担当してくれていた知人男性は体調不良のため欠席となりました。
(※知人男性というのは、最近の仮設訪問で毎回一緒に行ってくれているなすちゃんのことです。この日の朝、いきなり体調不良を電話で告げられ、これ以降一緒に避難所を回ることが出来なくなりました。このことは私にとって非常に衝撃的な出来事でした)
前回、はまなす学園の施設長から「日程的に都合が悪い」との連絡を受け、今回は訪問しないことになりました。
 
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
開始時間前から、毎週参加のAさんが椅子に座り、早速映画音楽などリクエストをしました。宮城県の新聞社から取材に来ている男性記者が隣にいましたが、さして気にする様子もなく、質問にも明るく答えながら機嫌よく語り合っている様子がうかがえました。しばらくして身体障がいのあるBさん、先週初めて参加した50代女性(赤い靴のタンゴをリクエストした)、何度か参加したことのある70代女性、そしてとても良くしゃべる60代男性Cさんが入れ替わり着席して、我々とやり取りをしながら一緒に歌唱活動をしました。
  
Aさん‥矢継ぎ早に「この曲は知ってる?」「あれを弾いてほしい」と欲求が出るが、他の方の応対をしている間にそれを後回しにすると、活動後に「弾かなかったね」と苦言を呈するように
Bさん‥活動開始後すぐに着席したが、Aさんのリクエスト曲を数曲演奏している間にどこかへ出て行ってしまい、戻ってこなかった
Cさん‥都はるみが大好きで、平成に入ってからの曲も詳しい。「千年の古都」をリクエストしたが、こちらが用意した歌集のどれにも入っておらず、演奏は断念せざるを得なかった。次回必ず持ってきます、と約束。研修生二人と酒場のようなやりとりをして楽しんでいる様子。
50代女性‥着席後、テーブルに数冊の歌集(昭和の歌謡曲)を持って行き「何か唄いたい曲があれば遠慮なく申しつけてください」と言うと、研修生を通してリクエストを寄こす。それ以外に、自分の手帳に曲名を一生懸命書きうつしている様子がうかがえる。時間の途中で退席して、入口のあたりで他の方と談笑している。
70代女性‥Aさんと洋画の話で盛り上がり、自身の好きだった映画音楽や洋楽について語り始める。「小さな喫茶店」などの古い曲が好き。
前々回から我々が伴奏で使用する目的で持参している分厚い歌集を、参加者が自分の好きな曲をリクエストする際に参考にするために渡す形が出来上がってきた。もっと見やすいように、大きな印字でインデックスだけ印刷して配布する方法も考慮する必要があります。椅子に座る参加者は、楽曲を通じてどんどん話をしてもらった方が良いと思いますが、そうすると音楽の無い時間が増えて、ついたての蔭で聞いている場内の人々への配慮に欠けるのではないか?という危惧もあり折り合いが難しいところです。
※ところでこの日取材に来た記者からそれ以降全く連絡が無かったのですが、取材した内容はどうなったのでしょう。沢山時間を割いて話をしたので、残念です
山田町 19:00-20:00 豊間根小学校格技場
 
避難所の外でちょうど担当の保健師さんとお会いすることができて、これまでの山田町各地避難所のその後について話をうかがうことができました。また、これ以降の避難所巡回についても三週間先までのスケジュールを渡され、長期的に被災地での活動を継続できる見通しが立って非常に嬉しく思いました。
 
この避難所での音楽療法は二度目でしたが、会場に入った途端にそこかしこからあたたかい声援と拍手をいただきました。「待ち遠しかった」と言ってくださった方もいました。
あらかじめ集計したリクエストに基づいた、この避難所専用の歌集を作成していたので、会場にいた全員に配布し、何を唄いたいかを聞きながら進行していきました。リクエストの中には、我々音楽療法士が現場でそれほど使用しない楽曲、一度も聞いたことがない楽曲が多く含まれてました。研修生が事前に楽譜を用意していましたが、やはり付け焼刃で弾き歌いしたものは、あまり場に浸透しない実感がありました。また、前回と同様に英語の歌詞で歌唱する難しさも感じました。リクエストに基づいた歌集のもう一つの難しさは、一人のリクエスト曲を他の大勢の方がわからずに場が白けることです。
※色々と動揺していて心の余裕が無い日だったので、写真撮影は全くしておりませんでした。画像、ありません

10月 03

避難所巡回時代 六回目 2011/5/21

過去に書いた報告書から転載します。
東日本大震災および津波の被災地である岩手県宮古市と山田町を訪問し、避難所で生活する方たちへ音楽療法を実施してきました。研修生ほか、3名が同行しました。
 
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
入口で初日に風船遊びをした女児たちから
「どこかで見た人だ」
と声をかけられましたが、彼女はそのままどこか別の場所へ遊びに行きました。
校庭では宮古小学校の児童たちがサッカーや野球の練習をしていて、それを避難民が暇つぶしに眺めていました。児童らが日常を送っている光景と、片隅に被災者が生活している光景のコントラストが、見る者に不思議な印象を与えています。
入口ではAさんが自身のスペースで座禅を組んで目をつぶっていました。小声で挨拶をして横を通り過ぎ、いつもの場所でキーボードを設置して曲を静かに弾きはじめると、自主的にAさんがやってきて椅子に座り、リクエストを口にしました。
今回はいつもの映画音楽にくわえて、バッハのオルガン曲が聞きたいとのことだったので、わかる範囲でトッカータとフーガ二短調を弾きましたが
「あまりちゃんと弾けていない」
と叱られました。
次々と新たな洋楽(カーペンターズ、ビートルズ、サイモン&ガーファンクル等)のリクエストに答えて弾いていましたが、テーブル席に50代後半くらいの女性(初参加)がやってきて、こちらの活動を興味深そうに眺めていたので、数冊の歌集をお渡しして
「何か唄いたい曲や聞きたい曲があったら申しつけてください」
と告げました。
遅れてやってきたBさんのリクエストにも応えているうち、その女性から山崎を通して数曲のリクエストをもらいました。女性はリクエスト全部を聞き終わらないうちに、リクエストカードを持ったままどこかへ行ってしまい、あとはAさんとBさん二人の話を聞くうちに終了時間を迎えました。
 
山田町 14:00-15:00 はまなす学園
はまなす学園訪問のきっかけとなった宮古市在住の福祉コーディネーター氏から連絡を受け、県内の施設から支援部隊が来て屋台(ポップコーンと綿あめ)を出すから、早めに会場入りしてほしいと言われました。いつもより1時間早い午後2時に到着すると、テレビの取材(テレビ朝日とNHK)が入っていて、いつもより人が多く賑やかな雰囲気でした。
私自身も数日前にNHKから取材依頼があり、音楽療法の会場で数名の入所者と一緒に待機している最中にスタッフから挨拶をされました。
午後2時になり、見知らぬ人間が大勢いる中で活動を開始しましたが、入所者の皆さんは臆する様子もなくのびのびと楽しんで参加している様子でした。しかし、リクエストを受け弾いた「おどるぽんぽこりん」で皆が楽しく踊っている最中に、スタッフから
「それは他局の番組で使用されている曲だから、できればNHKの忍たま乱太郎など使ってもう一度踊りの場面をやってくれないか
と研修生に注文が入り、これを聞いた私はメディアの取材についてメリットだけではないと痛感しました。
(この後、豊間根中学校に到着した時にちょうどテレビ画面いっぱいに我々の活動が映し出されていました。遠くにあったので音声は聞きとれず、取材された内容がどう編集され放送になったかは確認がとれませんでしたが、翌日以降は多くの人から反響をいただきました。その大半は好意的な激励でした)
山田町 19:00-20:00 豊間根中学校
5週間ぶり、二度目の訪問となった避難所では、担当保健師さんが集計してくれたリクエストをもとに、この場所限定の歌集を使用して活動を行いました。初の試みです。
これまではこちらが大きな模造紙に筆で歌詞を書き、広い会場に散らばる人々へ向かって提示していましたが、これは角度や距離的に見えにくいという声もあり、できれば個々の手元に歌詞を届けたいという気持ちがあり、今回実現しました。歌集の中には英語の歌もあり、全員で発音に四苦八苦しながら歌いつつ、笑いも出て大変盛り上がりました。
また、歌の中で台詞のある曲がいくつか含まれていて、それも歌集に記載しました。
季節の移り変わりとともに、避難所となった体育館の室温も上昇し始め、蚊や蠅などの害虫、そしてノロウイルスなどの発生が懸念されてきた頃です。
不自由な避難所生活を強いられた皆さんのストレスと疲労はピークに達しつつありました。
そんな中でも、私のような外来者に向けて暖かい言葉をかけて下さる皆さんには、本当に頭が下がる想いでした。
リクエストカードを配布した際、大人にまじって小学生の子供たちも
「私たちも書いていいの?」
と、おずおずと手を伸ばしてきたので、笑顔で手渡しました。
どんなリクエストをよこしてくれるのか、楽しみにしていましたが、結局その紙は回収されることはありませんでした。
また逢える機会があったら、この時のことを聞いてみたい気持ちがあります。

9月 26

避難所巡回 五回目 2011/5/14

以前の記録から転載します。
5月14日(土曜日)、東日本大震災および津波の被災地である岩手県宮古市と山田町を訪問し、避難所で生活する方たちへ音楽療法を実施してきました。同行者は3人。
大型連休も終わり、全国各地から集まったボランティアや観光客(野次馬も含む)の姿も少なくなりました。
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
2週間ぶりの訪問となった宮古小学校ですが、到着して最初に目についたのは校庭に設営していた自衛隊の車両やテントが無くなって、児童たちがサッカーに講じている光景でした。学校が再開され、ここは既に避難所ではなく元の小学校に戻ったということでしょう。体育館の一角だけは、従来通りゼッケンをつけたボランティアや救援物資の段ボール箱が山積みになっていて、日常と非日常が混然一体となった不思議な空間になっていました。
炊き出しを担当していた自衛隊の代わりに、YMCAのゼッケンをつけた人が大勢入口にいました。以前からいた全労災のゼッケンをつけた方も含め、複数の組織が入れ替わり立ち替わり出入りしている状況は相変わらずのようです。
屋内に入ると前回よりさらに人が少なく、ついたての段ボールで区切られた個々のスペースも、戸数が減ったように見えました。最初に訪問した時は120名超の避難民が暮らしていた体育館ですが、食事量を確認したところ現在は60名余とのことでした。
この日は屋外でボランティア主催の縁日とバザーが開催されていて、そちらに参加するため外へ出た方、日中に自宅の片付けをしに帰宅している方、仕事へ行った方の他は高齢者と児童、面会者、ボランティアなど10時過ぎの時点で体育館に残っている方は10名ほどでした。
いつも通りキーボードを舞台の前に設置したので、体育館全体を見渡せる位置にいましたが、やはり視界に入る人々は疲れた顔でうつむいていたり、布団の上に寝転んでじっと天井を見ていて、これから楽しく音楽を開始しましょう!と呼びかける雰囲気ではありませんでした。できるだけ耳触りにならない音色(エレキピアノ等)を設定し、控えめな音量で60年代の洋楽や外国の古い映画音楽(Aさんの姿はありませんでしたが、何故か彼の存在を想定した選曲になりました)を弾きました。研修生が少し離れた場所に座っている高齢の女性に「リクエストがあれば聞かせて欲しい」と聞き、鳥羽一郎だったら何でも良いと言われ、ムード一転「兄弟船」を弾いたところでいつものAさん、Bさんが外出から帰ってきて、参加しました。
Aさんからは再び「ヘンリーマンシーニ作曲のひまわり主題歌を弾いてほしい」とリクエストが出たので、音色をピアノに変え、事前に暗譜したアレンジでで弾きました。「どうですか」と感想を求めたら「うん、前よりはだいぶ良くなったけど実際に映画で流れたのはその音色じゃないよね」と言われました。「映画ではテーマが二度目に繰り返される時にピアノからチェンバロになるんです」と説明して、音色をチェンバロに変えると「うーん、こんなだったかな?」と首をかしげていました。この映画の記憶はありますか?と質問したところ「ある」と言うので、おおまかなあらすじを教えて欲しいと言うと、俳優(ソフィアローレンとマルチェロマストロヤンニ)のふるまいや表情を思い出しながら説明してくださいました。Aさんは興味のあること以外の質問や、探るような聞き方(例えば、××という洋楽はどうですか、など)にははっきりと返答をせず、しばし黙考した後にそれとは関係の無い自分のしゃべりたいことを訥々と語る、といった様子です。好きな曲を聴きにくる、というよりは自分の昔話をしにくるのが楽しみなのかもしれません。
Bさんはマスクをしていたせいか、問いかけに対する答えがなかなか聞きとれず、何度も聞き返してしまい負担をかけたように思います。マスクのせいだけではなく、もしかしたらいつもよりろれつが回っていなかったのかもしれません。任侠映画に関するリクエストがあった、と後で研修生から知らされましたが、こちらが勝手に弾いている曲にも柔和な表情で耳を傾けていました。松任谷由実の「春よ来い」のリクエストが出て、終了時間が来ました。
帰り際、この避難所をずっと担当している市役所職員の男性から、縁日で出ていたソーセージを差し入れしていただきました。通りがかった避難民の男性が「せっかくもらったんだから、ちゃんと食えよ」と言われ、みんなで御礼を言ってその場を去りました。
山田町 14:00-15:00 はまなす学園
宮古市同様、駐車場にいつもいた自衛隊の車両が消え、かわりに施設職員以外のボランティア、外国の報道、工事業者などの出入りが多かった日でした。
前回から、ベテランの女性職員が活動の最初から最後まで入所者の皆さんに寄り添って、彼らの言いたいことを代弁したり、楽器配布の際に最適な方を指定してくれたりと、非常にこちらが動きやすいサポートをしてくださるようになりました。ボランティアで来ている我々は、入所者について情報が無く全くの手探り状態で活動していたため、積極的な職員の介入を心強く感じました。
導入時「何か好きな曲があったら教えてください」と言いましたが、反応が薄くほんの数名が前回と同じ曲をリクエストしただけでした。反面、一回目から継続している「おもちゃのチャチャチャ」での楽器演奏は、慣れて来て反応が良くなってきました。前任者である佐々木氏からの申し送りにあった「踊りが好きな方が多い」という言葉通り、立ちあがって演奏に合わせて身体を動かす人が数名いました。この場所での活動メニューにもう少し身体的なものを増やした方が良い、と感じました。
山田町 19:00-20:00 新田地区集落農事集会所
小さな集落の小さな公民館に10名が身を寄せ合って暮らす、これまでで最も小規模の避難所でした。10代の女性を含む数世帯と、近所からも夫婦がひと組参加して、大変和気あいあいとした雰囲気の中での活動となりました。全員が寝泊まりする和室には布団と荷物が溢れかえりそうに積まれ、頭上には洗濯ものが干してあって、生活感のある空間でした。
我々は約束の19時より十数分早く到着して準備を開始しましたが、テレビを見ていた男性が気を使って「消したほうがいいよね」と聞いてきました。「まだ時間がありますから、寛いでて下さい」と答えましたが男性はスイッチを消し、その場にいた全員がこちらを向いてじっと押し黙ったまま待っていたので、数分前倒しをして開始しました。
玄関には山田町保健センターが作成した音楽療法の告知が貼られていて、皆さんはこれから音楽に関する何かが始まるとおぼろげに予測されているようでしたが、この日も冒頭の活動はストレッチから入りました。未だに最初から音楽活動から導入は出来ずにいます。また、この日はずっと継続して行っていた「あてふり」を活動項目から外しました。通常の介護予防教室や公民館の講座と違い、避難所での活動はなるべく静かに、音楽以外の導入から開始したほうが相手もこちらも抵抗が少ないように思います。
参加者の様子で印象的だったのは、古い歌謡曲は全くわからないと言っていた10代の女性の存在です。この方は近所にお住まいの70代夫婦のお孫さんだったのですが、「星影のワルツはじいちゃんがばあちゃんにアイスをおねだりする時の歌ッコだね」と言って、部屋全員の笑いを誘っていました。
この日、山田町の被災地でホームセンターが営業を再開しました。周囲はまだ瓦礫の残っている状態でしたが、営業時間になるとたくさんの地元住民が集まり、賑わっていました。復興に向けた希望の光が見える、そんな光景でした。
ところでこの日、初めて豊間根にある「嶋田鉱泉」という入浴施設に行ってみました。
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熱くて熱くて、お湯には10秒と入ることができず。
みんな、よく入ってるなーとびっくりしました。熱湯コマーシャルか。