9月 18

ど根性寿司屋 魚正

宮古市鍬ヶ崎は、私にとって魅力的な場所です。
この町に住んでいた人々から、かつての鍬ヶ崎の光景や暮らしを聞くのが大好きです。
鍬ヶ崎の人々が自分たちの町に向ける愛情の深さに、いつも胸打たれます。
東日本大震災で被災するずっと以前から、実は私はこの町に訪れていました。
大好きなお寿司屋さんがあったから。
それがここ、魚正です。
(と言って外観の写真が無いのは、津波で被災した光景を絶対撮影しないと自分で勝手に決めているからなのであしからず)
(かわりに近くにある「おくまんさま」の階段でお許し下さい)
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津波の合ったあの日、宮古市在住の音楽療法士さんからメールで
「鍬ヶ崎は壊滅状態のようです」
と知らされた時、まっさきに
「えええええ!じゃあ、もう魚正のお寿司は食べられないの!」
と不謹慎にも思ってしまったほど愛するお店。
ところがぎっちょん。津波から4カ月ちょっとでここの御主人、同じ場所で営業再開なさったんです。
何と言う不屈の精神。そしてビバ職人根性!寿司LOVE。
頭が下がります。
昨日の日記の通り、アシスタントの昼食代をケチる私は、早く魚正のお寿司食べたい!と気は急いていたのですが、三人もひき連れて寿司屋の暖簾をくぐる勇気は出ずじまい。
(本当、ケチですね)
しかし、日本音楽療法学会の皆さんが被災地支援の視察に宮古市へ今年の冬にいらした時
「あ、この人たちきっと自腹」
と言ういやらしい邪推&目論みもあって、やっと決心が固まりました。一人ぶんなら平気!
(全くもって、救いようの無いしみったれですね)
美味しかった‥握り‥。
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時々、こんな僥倖にもあずかれます。
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最近は宮古市に同行するのはアシスタントなすちゃん一人だけなので、時々気が大きくなると
「ご・ほ・う・び」
と大威張りで、おまかせ握り1000円をババーンと奢っています。そして咀嚼している間
「美味しいでしょ、いいでしょ」
と恩を着せ続けます。
(ジェイムズ君にも匹敵する吝嗇家ですね)
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近いうちに、夜にお邪魔して飲み食いしたいと思います。
(ほんとか)

9月 17

我が愛しき「ぐるまん」

避難所巡回時代はまだ営業再開していない飲食店が多く、昼食や夕食をどこで食べるかはいつも頭を悩ませていました。選ばなければ結構選択肢はあったかもしれないんですが、変に高いお店にアシスタント3人連れて行くとなると、一回に食事代が5000円近くになり、往復のガソリン代も含めると「これで毎週はキツい‥」と顔に縦線が入ります。足取りは重く財布は軽い、そんな日々でした。
「実はとても美味しくて、値段も良心的なお店があるんです」
2011年6月11日、そう教えてくれたのは、現地で音楽療法士(補)をしているMさんでした。彼女の紹介で向かったのがここ。
「ぐるまん」
岩手県宮古市緑ケ丘5-31
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魚菜市場の裏手にある、独特の雰囲気を醸し出している洋食屋さんでした。中に入ると、こんな感じ。
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貼られているメニューと値段を見ると、確かに安い!そして種類が豊富!知らない料理もたくさんある!
私はひとくちカツ定食というものを食べましたが、衣がサクサクして肉は柔らかくて、最高でした。

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ここの御主人は時々面白いメニューを単発で掲げるので、こちらも挑戦してみます。個人的に最大ヒットだったのが、まぐろの中落ちステーキ定食。ボリューム満点で、とても美味しい!
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人が頼んだもので印象に残っているのは、卯の花あんかけ定食。

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何が入っているのか、食べた人は決して口外しようとはしませんでした。何故‥。(つーかわからなかったのかしら、中身)
あと、私が全国で被災地の話をする時は必ず話題に出す、謎の食べ物。スパニッシュライス。

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味付けは何なのか、何をもってしてスパニッシュなのか。
そして、ぐるまんはただ美味しいだけの店ではありません。我々が「定食」というものに対して抱く固定観念と常識をいとも簡単に覆す、アヴァンギャルドかつアグレッシブな料理を不意打ちのように繰り出してくる場所なのです。油断してはいけない!! ごらんください。

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おわかりでしょうか?これはチーズオムレツ定食の画像です。副菜にご注目ください。
オムレツ定食に、ダシ巻き卵が添えてあるのがご確認いただけるかと思います。
これだけではありません。数か月前、一部のTwitter住民を震撼させた、驚天動地の組み合わせ。
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スパゲッティ・ナポリタンに添えられた、おかずナポリタン。
いかがだろうか。(何だこの口調)
ちなみに私は最近、オムライスを頼む頻度が高くなってきました。いかんなー、もっと果敢に挑戦せねば。店に負ける。私はこれからも頻繁にぐるまんに通い続けます。皆さんも是非、一度足を運ばれてはいかがか。(だから何だこの口調)

9月 16

宮古市「田鎖」「児童相談所」2012/9/15

実は数日前から熱があり、下がらなかったら申し訳ないけどキャンセルしなければ(支援者が風邪を持ち込んで感染源になるのは言語道断の大罪です)‥と思っていたのですが、前日に休みをもらってずっと寝ていたのが功を奏したのか、朝熱を測ったら大丈夫だったので安堵しながら出かけたのですが。
病み上がりのせいか、この日は色々ありました‥。
まず宮古市に到着して午前の現場へ‥と向かった先が鍬ヶ崎小学校の仮設だったのですが、談話室に入ったら住民の方と巡回員の方に
「あれ?音楽の人だよね、今日はここじゃないよ」
と言われました。な、なぬ??
巡回員さんが表を調べて
「今日は田鎖になってるね」
と言って下さり、平謝りしてから大急ぎで移動しました。‥5分遅刻しました。
(実は社協さんからスケジュールの変更をあとから連絡されていたのに、すっかり忘れて最初の表をそのまま手帳に書き写していた単純ミスでした‥ばかばか)
午前 10:30-11:30 田鎖
談話室の中に入ると、既に大勢の皆さんが待機してくださってました。ああああああ、すいません。
ん?あなたは田鎖ではなく、きれまち仮設の方では?と思って聞くと
「なかなかうちに来ないから、こっちまで聞きに来たよ」
と。
なんとありがたい!!なのに遅れてすいません!!
(再び平謝り)
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きれまち仮設からわざわざ足を運んで下さった男性は、以前
「他の音楽の慰問は、こっちが何か曲をリクエストしても知らぬ存ぜぬで、さっぱり話が通じない。でもあなたは即座に対応してくれるから面白い」
と言って下さったのですが、この日リクエストされた「坊がつる賛歌」「ふるさとの話をしよう」「おんな船頭唄」は歌詞の用意が無く、せっかく褒めてくださったのに~と悔しい思いをしました。
変わりに、他の三橋美智也、北原謙二、なんとか賛歌で‥と思い「リンゴ村から」「若いふたり」「雪山賛歌」となりました。
現在、巡回の際には童謡唱歌・流行歌・民謡など250曲の歌詞を持ち歩いていますが、まだまだ足りないので日々増やしています。こうやって対応できなかったものはその週のうちに書いて足すようにしています。
知らなかった曲をおぼえる良い機会でもあり、音楽療法士としてはまたとない勉強のチャンスです。
ここで今日最大の問題が。
声が‥出ないんです。風邪は治ったのに、今日になっていきなり声が枯れてしまいました。
プロ失格です。無理やり歌おうとするとスリムクラブの人みたいに。
仕方が無いので、同行したなすちゃん(運転もしてくれる120kg男性)に頑張ってもらいました。有難う、なすちゃん!
前回、ここ田鎖で参加された女性から
「ずいぶん、お痩せになったんですね」
と帰り際に言われました。
そう‥ここ数カ月で私、10kgくらい体重が減ったんです。一度しかお会いしてないのに、良くおぼえていてくださっていて、ありがたいかぎりです。
午後 13:30-14:30 児童相談所
ここは4回目の訪問です。
1回目‥参加なし
2回目‥5名参加
3回目‥2名+他の仮設からお連れした方1名
さて今日はどれくらい人がいらっしゃるかしら‥と談話室のドアを開けようとした時、背後から
「あ、いいとこに来た!ちょっとこれ運んで!」
と見覚えのある女性から声をかけられました。
「これ、女では運べないのよ。悪いけど持ってきて」
と指をさした先には、みっちりとジャガイモの詰まった段ボール箱が6つ。
言われるまま、えっちらおっちらと箱を移動させました。
うちの母も、初対面の音楽療法士さんが我が家に遊びに来た時、挨拶もろくにせず
「あ、いいとこに来た!ちょっと餃子の皮をつつむの手伝って!」
と言ったことがあるのですが、それをなんとなく思い出してみました。
(ちなみにその音楽療法士さんは平田紀子さんといいます)
この日は珍しく、男性の参加者がお二人もいらっしゃいました。どちらの方も音楽療法は初参加です。
立て続けに、並べた歌詞カードからリクエストを下さいました。言われるままどんどん弾きまくる私。
こういう、打てば響くようなセッションは大好きです。
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声はまともに出ませんでしたが、張り切ってなすちゃんと二人で踊りを披露しました。
「名コンビだね」
とのおほめの言葉をもらいました。いえー。
14:45-15:30 高齢者デイサービスセンター
この日は、皆さんと
「声に出して読みたい日本語」
ということで、徒然草や平家物語、方丈記や枕草子の冒頭を一緒に朗読してみました。
旧かなづかいもバッチリでした。
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杜甫の「春望」も読みましたが、解説がいつも通りの私流カジュアルだったので、どこかニュアンスが違っていたかもしれません‥アデランスイブファインがどーのとか。
きちんと勉強しておきます。
あと喉ちゃんと直しておきます‥。

9月 15

避難所巡回 二回目 2011/4/23

この記事は、当時学会への報告書として書いたものです。
多少細部を変えつつ、転載しますね。
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
午前10時に到着し、前回と同じ市役所の職員が対応してくださいました。既に顔を記憶していただいたようで、すんなりと避難所である体育館へ入ることができました。
屋内は人が少なく、前回より暗い雰囲気でした。私はアシスタントに「担当の保健師さんに音楽療法開始の場内アナウンスをお願いしなければならないので探してきてほしい」と言いましたが、戻ってきた彼女の口から「保健師さんはいましたが、私は何も話を聞いていないので貴方達には協力できません、ときっぱり断られました」と聞きました。
私がもう一度、その保健師さんにお願いしようと近づきましたが、避難民の方のバイタルを計測している最中だったので話しかけることは出来ませんでした。
その時、遠くで椅子に座りながらこちらに向かって手招きをしている男性と目が合い、近づいていったところ、「ここの担当はこれから宮古市の保健センターに所属する保健師になるので、次回からそちらに話を通して欲
しい。今日はもう約束済なので仕方ないが、次回からは午前ではなくもっと別の時間帯に行ってもらいたい」と言われました。男性自身も被災し、この場所で避難生活を送っている方でした。話ぶりから、避難民の代表をなさっているようです。
「音楽の時間は必要なので、これからも継続してほしい。土曜の昼間は少ない人数なので、せっかく遠方から来てもらっているのに申し訳ない気持ちだ。なるべく人が多い時間帯に来て欲しい」という主旨のお話でした。
会場に戻り「これから音楽の時間が始まるので、大きな音量が響きます。もし不快に感じるようだったら、すぐにお知らせください」と山崎が皆さんに知らせて回りました。幸い、拒絶する方はいなかったので活動を開始しました。
目の前に用意した座席は空のまま、前回にもまして重苦しい空気の中での導入だったので、まず柔らかい音色で映画音楽を数曲演奏しました。それを聞いた50代の男性が寄ってきて、椅子にどっかりと腰を掛け「今度はフランス映画の主題歌を演奏してほしい」と言いました。男性のリクエストに応えて演奏していると、今度は先週も参加した高齢の女性二人もやってきたので、映画音楽の中断について男性に断りを入れてから、昭和初期から戦後の流行歌を弾き歌いしました。男性もこの頃の流行歌を聞くのはまんざら嫌いではない、と言いました。
我々の位置から右手にある居住空間でじっと座りながら音楽を聞いていた方から「演歌が聞きたい」と言われ、比較的新しいものを演奏しました。リクエストされた楽曲の中には歌詞が用意していない曲もあり、次回必ず持ってきますと約束を交わし、かわりに別の曲を演奏しました。
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前回いた子供たちは一人も見当たりませんが、奥の空間で数名の男児がカードゲームで遊んでいるのが見えました。彼らは全く音楽に関心を示しません。奥で血圧を測っている保健師らも、音楽など全く耳に入っていない様子でした。
終了時間間際に歌った「お富さん」で、私が最後に与三郎の決め台詞を言うと、演歌をリクエストした方の身内の男性から「いよ!」という掛け声をかけられました。
体育館から荷物を搬出する際、全労災ボランティアと書いたゼッケンの男性から「どこの所属ですか、ボランティアの手続きはとってますか」と聞かれ、たまたま職場の名札を首から下げていたのでそれを見せると「ああ、病院職員の方ですね。わかりました」と納得してもらいました。帰り際、役場の方にご挨拶をしたら、隣にいた女性がこちらを一瞥してから役場の方に「ここ最近、色んなボランティア希望の人が来ているみたいで、応対大変でしょうね。御苦労さま」と言っていました。
(この頃の被災地は火事場なんとか、みたいな不逞の輩が結構いたらしくて、この用心っぷりは当然と思いました)
前回の訪問時、避難所で我々の応対をした保健師は、遠く神奈川県からボランティアでやって来ている方でした。
「あと数日で私は岩手を離れるので、来週は別の人間がここを担当します。音楽療法が次回は土曜日の10時から、と申し送りしますが、何かトラブルがあったら保健師の間で引き継ぎしている携帯電話の番号を教えますのでかけて下さい」と渡された番号に、昼食後かけてみました。
すると、先ほどアシスタントに「協力はできない」と告げたと思われる保健師さんにつながりました。前述の経緯を説明し、今後は誰に、どのような手続きをとれば良いのかを質問したところ「避難所の皆さんの要望により、これからは保健師ではなく避難民の代表者がそういったこと(音楽療法の訪問など)を取り仕切ることになったと聞いた。我々もあと数日でここを離れるので、これからは代表者の方と直接交渉してほしい」との答えでした。
宮古市での音楽療法を最初に段取りした宮古市在住の音楽療法士の佐々木さんにメールで早速これらの経緯を伝えたところ、すぐに「これから宮古市役所に一緒に行き、保健センターで話の通じる保健師さんにお願いしてみましょう」と返信がありました。昼食後、午後1時に佐々木さんと待ち合わせて保健センターのある宮古市中央公民館へ行き、私も何度か仕事をご一緒したことのある顔なじみの保健師さん数名とお会いすることが出来ました。正直、やっと顔なじみの方とお会いしてほっとしました。
佐々木さんと宮古市保健センターの皆さんとは、長年仕事のパートナーであり、良好な関係を保っているので、今回の件についても親身になっていただくことができました。早速、宮古小学校の避難所で代表をしている男性にコンタクトを取り、間に入って調整を行って下さることになりました。
山田町 14:00-15:00 はまなす学園
 山田町にある知的障がい者支援施設(入所型)はまなす学園は、併設された老人ホームもろとも津波の被害に遭い、建物が全壊しました。人的被害は無かったものの、行き場を失った施設の皆さんは同市内にある数年前に廃業した観光ホテルの建物へと避難し、現在も入所者と職員が電気も水道も無い生活を強いられています。慣れない環境での生活が一カ月超過して、全員の疲労がピークに達しているということでした。知り合いの福祉コーディネーターから「もし山田町の避難所を訪問する際に空き時間があったら、この施設でも実施してもらえないだろうか」と相談を受けたので、夜の豊間根中学校までの空き時間にセッションを行う約束をしました。
宮古小学校から山田町の町中にある小高い丘の上のホテルまで、自動車で約30分。約束の午後3時開始より30分早く現地に到着し、出迎えてくれた男性職員に中へと案内されました。ライフラインが復旧していない建物の中は真っ暗で、元のホテルでは宴会場であったであろう部屋に通されました。そこにはかなり幅広い年齢層の入所者が20~30名ほど、他に職員が10名ほどぎゅうぎゅう詰めになっていました。
宴会用の大きな円卓にキーボードを配置し、自家発電から電気をもらってCMやアニメの楽曲をいくつか弾きながらセッションを開始しました。事前に利用者に関する情報は入手できなかったので、音に対する一人ひとりの反応を確かめながら、徐々に周囲への働きかけを広げました。
セッション終了後は、すぐにおやつ(ぜんざい)の時間だったので急いで搬出し、会場を後にしました。たまたま屋外のトイレへ利用者を連れてきた職員の女性と話をしましたが、この方は常勤ではなく震災後に北海道からボランティアとして来たそうです。音楽によって利用者の皆さんがとても喜んでいた、との感想をいただきました。
山田町 19:00-20:00 豊間根中学校格技館
18時30分に到着して、前回と同じ体育館へ入ろうとしたところ、入口で前回の参加者から「こないだの先生ですね、こんばんわ。今日の会場はここではないですよ」と声をかけられました。会場の変更について、担当の山田町保健センター保健師から何も連絡が無かったので、その方に教わった通りに敷地内にある武道場へと移動しました。夕食が終わったばかりで片付けの真っ最中の会場には、役場の職員も保健師も見当たらないので、近くの方に声をかけて代表の方に取り付いてもらいました。この女性も前回、別の会場で音楽療法に参加していた方で、話はすぐに通じました。
「会場はどのように設営したら良いでしょうか」と聞かれたので「こちらの皆さんの邪魔にならないような、隅っこでも構いません。どこでもいいです」と答えると「いえ、きちんと先生が指示なさってください。私どもでは決めかねます」ときっぱり言われました。
開始時間まであと少し、というところで、先週もお世話になった保健師さんと役場の職員さんが、前回も参加して下さった2名の方を連れてきました。保健師さんが生活上の様々なインフォメーション(整体師のボランティアについて、青森からの炊き出しについて、等など)と共に、これから音楽療法が始まると全員に向かって案内している最中、奥にいる年配の女性が子供のいる家族に向かって「さっきからうるさくて聞こえない、黙って!」と大声で怒鳴りました。それまで母親と笑顔で話していた子供たちは、すっかり萎縮して黙り込んでしまいました。
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午前と同様に重苦しい空気のまま保健師からの紹介を受けて、まずは避難所で出来る簡単なストレッチを行いました。意図的に導入には一切音楽をいれませんでした。ゆっくりとした呼吸を心がけるよう前置きをしてから、四肢の伸ばし方、肩こりの防止法、関節のまわし方を逐一説明しました。会場にいたほぼ全員が真剣にストレッチを行っていました。少々回りくどい導入でしたが、この時のこの会場とっては必要な段階だったと思われます。その後、用意した歌詞を提示して、昭和の流行歌を中心とした歌唱を行いました。いざ歌が始まると、雰囲気も変わり人々の表情にも笑顔が戻ってきました。
 30分ほど経過した頃、突然大きな余震(震度3)が来て会場全体が再び緊迫しました。この緊迫状態から参加されていた皆さんの気持ちを音楽に戻すのは、相当に困難でした。 
数年前から介護予防教室などの仕事で山田町をたびたび訪問していましたが、その仕事でご一緒した人々が避難所でのセッションで「明るく楽しい歌の時間」という雰囲気を牽引してくれました。一生懸命に手拍子をして、大きな声で歌を歌ってもらい、それにつられて周囲の方も徐々に声が出てきました。先ほど、女性から怒鳴られた子供たちも、知っている歌にも知らない歌にも元気に手拍子をしていて、会場の雰囲気になじもうと懸命になっている様子がうかがえました。
 終了後、次回また訪問する旨を伝え、用意してきた「リクエストカード」を保健師に頼んで配布しましたが、大勢の方が紙を受け取っていました。
前回、宮古小学校で応対をしてくれた保健師からうまく新しい担当者へ申し送りが伝わらなかったことで、音楽療法を定期的に訪問するためには依頼主を一本に絞って、決まった担当者と密に連絡を取り合わなければ、いざ当日現場に入ってから「聞いていない」「協力できない」とそっぽを向かれ、最悪「押しつけがましいボランティア」と言われかねない危険性を痛烈に感じました。
しかし、誰がその現場を統括しているのかは、状況が日ごとに変化している場合もあるので、見極めが困難です。幸い、今回は地元と密接なつながりのある佐々木さんの取り計らいで、何とか宮古市保健センターと連携がとれるようになりましたが、よその土地から飛び込みで入った場合はここまでに至るのは至難でありましょう。近畿からのアドバイスにもあった通り、避難所で音楽療法を実現し運営していく為のキーパーソンは地元の保健師です。音楽療法を取り入れてもらうために、各地の保健センターに出向いて、働きかけを行うのが一番の近道であると思われます。
また、1週間経過して再び訪問した避難所は、前回よりも住民の皆さんの「不機嫌さ」が際立っていました。行動や言動からは、自動車のハンドルでいうところの「あそび」がかなり消失して、こちらが驚くほどにダイレクトな感情を他者へとぶつけてきます。言葉づかいも以前よりかなり直截的だと感じました。
命の危機を脱して、素直に感情を表出できるようになったのか?
長い避難生活での疲れ、焦り、いらだちで他者に接する際の余裕が無くなってきたのか?
憶測で判断するべきことではありませんが、先の見えない避難生活が続くにつれ、住民の皆さんの緊迫した心理状態はさらに深刻化していきそうな予感がします。

9月 14

宮古市「清寿荘」「愛宕小学校」2011/10/1

去年2011年8月には宮古市も山田町も、ほぼ全ての避難所が解散となり、避難していた人々は完成した仮設住宅や、内陸のみなし仮設、その他の場所へと引っ越していきました。
私は丸四カ月もの間、ずっと毎週盛岡から被災地の宮古市・山田町に通っていましたが、避難所が無くなったからもう支援は終わり、とは思えませんでした。出来れば、仮設住宅に移り住んだ人々のもとへも、音楽を届けたいと思っていました。
しかし、宮古市では最初のとっかかりが遠方から来ていた保健師さんだったので、その方がいなくなったらもう誰を通せばいいのか不明でした。宮古保健センターの保健師さんで知っている人がいたので、その方にも「音楽療法での支援をしたいので、仲介してほしい」と頼みましたが、地元保健センターの皆さんはもうてんてこまいの状態で、とても私などに構っている余裕はなく、断られました。
山田町も同様でした。それまであちこちの避難所をまわるように指示をくれていた保健師さんからは
「今までありがとうございました」
とメールが来て、これからもうかがいたいのですと言っても反応はありませんでした。
これでもう、私の被災地巡回は終わらざるを得ないのか‥と諦めムードだったのですが、たまたま他の仕事で宮古市を通過する際
「諦めは愚か者の結論」
というパタリロに出てきた台詞を思い出し(私の持つ様々な知識の源は昔の漫画からです)、大勢のボランティアでにぎわう小山田の社会福祉協議会にお邪魔。アポ無しにも関わらず、偶然見かけたW課長さんに声をかけました。
(Wさんはずっと昔から、宮古で児童の音楽療法をする際に顔を出してくださっていました)
交渉の重要なポイントがありました。
私が宮古市に来る時は全て自費でまかなうボランティアなのですが、病院の常勤である私には土曜出勤が月に2回課せられていました。毎週土曜日被災地に来るとなると、年次休暇を使わなければいけません。加えて、勤務先に対して私のボランティア活動をオフィシャルに扱ってもらうと非常に助かるのです。
「ボランティアなのでお金はいらないのですが、できれば社会福祉協議会から私の職場宛に派遣依頼文書を出していただきたいのです」
この無謀なお願いをした時、やはりW課長さんは困惑なさっていました。
「一度、こちらでそれが可能かどうか確認してからお返事しますね」
駄目モトで頼んだことでしたので、私はそれから数日「駄目なら駄目で、またツテを探そう」と思っていましたが、何とOKが出ました。押しかけボランティアに派遣依頼文書というのは稀、というか他に例の無いことだったと思います。
今でも御尽力くださったW課長、宮古市社会福祉協議会に対しては頭があがりません。
午前10:30-11:30 清寿荘
さて、晴れてこの年の10月初日から仮設住宅を回ることになりました。
記念すべき一回目は、津軽石からさらに奥へと入って行った払川にある老人施設敷地内の仮設。
「他のボランティアやイベントの入りにくい場所を主にお願いします」
ということで、ここが選ばれたようです。
途中、山田線の線路を越えるポイントがあったのですが、踏切にはロープが張られていて、鉄もすっかり赤くさびていました。
大人の方は5名参加してくださいました。
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談話室の外と中には、多くの小学生たちがいたので、彼らにもまざってもらいました。
100円ショップで買ったじゃんけんバーのセットがあったので、大人VS子供でじゃんけん大会をして遊びました。
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画像、私の足元に風船セットが転がっていますが、子供がいるときはアートバルーンで犬だのねずみを作ってます。でも子供は自分でふくらませて自分でねじりたいんですよね。この日もかなりの数が破裂しました。
6曲を歌い、じゃんけん大会をし、手遊びや体操もして「さあ、そろそろ終わりの時間」と思ったら、子供たちが
「あたしたち、ばあちゃんたちに小学校の校歌歌ってあげたい」
と言いだしました。参加してくださった大人たちも、彼らと同じ小学校の卒業なのだそうです。
子供の殆どは小学校1年生で入学して間もないのに、3番までよどみなく歌っていました。
この日で一番、大人たちの心に響いた歌声だったと思います。
午後13:30-14:30 愛宕小学校
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昼休憩をはさんで訪問しましたが、誰も談話室を訪れませんでした。
(産業まつりというイベントがあったのも要因だと聞きました)
私とアシスタント二人で、伴奏の時の和声法についての雑談をして時間を過ごしました。
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まあ、私も相当能天気でお気楽な性格なので「誰も来なければ来なくて別にいいや」と思って気に病みません。
(半分強がり)
この後、14:45からはW課長と社会福祉協議会への恩返しということで、小山田の老人デイサービスセンターでの音楽療法を行いました。
これは現在も続いてます。元気な皆さんを相手に、こちらが元気をいただいてます。
(最近の話ですが、一度おひねりをいただきました‥丁重にお返ししましたけど)