10月 21

避難所巡回時代九回目 2011/6/11

過去の記録から転載します。
6月13日(土曜日)、東日本大震災および津波の被災地である岩手県宮古市と山田町を訪問し、避難所で生活する方たちへ音楽療法を実施してきました。研修生二人も同行しました。
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
いつもの場所にはゲームをしている小学生男児三名と、高齢の女性が座っていました。Aさんは配置換えがあり、向かって右側の真ん中に休んでいました。迎えに行くと「待ってましたよ、これだけが楽しみで」と言って起き上がりました。それを見た小学生たちは「音楽療法はじまるの?」と言いながら気を使って場所を移動しました。
Aさんは最初に「太陽がいっぱい」をリクエストしてきたので、持っていたパソコンでアランドロンの動画を見せながら、曲を弾きました。先週も同様に提示したことを、Aさんはおぼえていない様子でした。その後、研修生とオノヨーコや歴史上の人物についての話をして盛り上がっていました。
長机に座っていた高齢の女性にはもう一人の研修生がリクエストの聞き取りを行いました。「夜霧よ今夜もありがとう」「兄弟仁義」「兄弟船」「アンコ椿は恋の花」「二輪草」「星影のワルツ」などが挙げられて、全て弾き歌いしました。この女性Eさんは去年、病気で母親を亡くし、ご自身も癌をわずらって闘病中に津波にあったということです。Eさんは一曲が終わるごとに拍手をしてくださいました。
隣にいた女性(何度か参加して赤い靴のタンゴをリクエストした方)Fさんは「雪椿」「女の意地」「君影草」「夫婦橋」をリクエストして、曲の合間に出身地近くの大きな町に奈良光枝がリサイタルに来て見に行った想い出を話しました。
今回、初めて手作りのケーキを焼いてきたので、玄関にいた市職員の女性(研修生の高校の先輩)に事情を話し、昼食時に出す許可をもらいました。避難所の代表の方(交代して比較的若い男性)にも許可をもらい、包丁を避難されている方(小学生男児の御家族)にお借りしました。音楽療法に参加してくれている方からは「美味しい」と言っていただけましたが、他の方に「どうぞ」とすすめても返事がありませんでした。
いつも参加していたBさんが先週から見当たらなかったので、市職員に聞いてみたところ、仮設住宅に入居したとのことでした。体育館を仕切っていた段ボールが大量に折りたたまれていて、避難所全体の人数もだいぶ減ってきていました。
玄関での受付や、食事の運搬など雑事を担当している自治労の方に話を聞くと、この避難所は近所の弁当屋から仕出しをするようになっているとのことでした。他の避難所では調理室を使って自炊している様子もありますが、自治体や場所によって対応が異なるのかもしれません。
Pap_0417
山田町 14:00-15:00 はまなす学園
約束の時間より少々早めに到着し、入室すると中ではおやつの時間でした。一人4枚ほどのラスクと、コップ一杯のお茶で和やかな休憩時間を過ごしていました。
活動の導入は「北国の春」、次に先週も行った「いとまき」を交えた手遊びの踊りと、CMソング「この木なんの木」に振り付けをつけたダンスを踊りました。室内には入所者が21名、職員が4名いて、この大人数がそろって集中できる活動はダンスが一番なのだと感じました。
次に楽器を配布し、「おもちゃのチャチャチャ」を演奏した後に急きょ「はまなすぽぽぽ」という曲を作って「何なにが好きな人は手をあげて」と繰り返しながら、歌いました。こういったコール&レスポンスの形で歌をすすめるのも皆さん好きなようです。
先週、ギターを弾けると言っていた男性に使ってもらおうと持参したギターを渡したところ、彼は自室から自分のギターを持ってきて、「明日がある」を弾きはじめました。この男性はその後も、キーボードの演奏に合わせてギターを弾きました。キーが合わないところは、こちらが合わせました。
最後にリクエストをとり、「ひと夏の経験」「ちょうちょ」「およげ!たいやきくん」「兄弟船」「ドラえもん」「わたしの青い鳥」を歌いました。曲の合間に、歌集を作ったほうが良いか?と聞いたところ、多くの人から「作ってほしい」との要望が出たので、いずれはまなす学園専用の歌集を作成することにしました。最後に「ドレミのうた」を歌い、終了しました。
屋外に出ると、一週間のボランティア活動を終えた青森県の職員さんたちが帰るところでした。入所者の多くが手を振って別れを惜しんでいました。
山田町 19:00-20:00 山田町大沢ふるさとセンター
二階建ての公民館のような建物の一階奥に入り、座敷のような広い部屋にキーボードを設置しようとしましたが、長机のようなものが一切見当たらなかったので、玄関脇にあったパンの箱をお借りして、台にしました。対象者は高齢者が8名(男性1名は途中退室)と職員2名。開始前に昭和20年代、30年代の流行歌を弾きながら「この年代の歌を主に歌いますが大丈夫ですか」と聞きました。「リンゴの唄」「勘太郎月夜唄」「満州娘」から導入し、いつも通りストレッチや回文、あてふり、寸劇などをまじえて「お富さん」「旅の夜風」「青い山脈」「憧れのハワイ航路」「お座敷小唄」などを歌いました。
開始前から、我々の姿を見かけた人が調理室で「ほら、音楽の人来たみたいだよ」と声をあげていたように、音楽療法への期待があったようです。参加した皆さんも、非常に表情良く、また反応も良く、全ての活動において楽しんでいる様子でした。同席した職員二名は活動中は全く声を発しませんでしたが、参加者に「古い唄ばかりだったけどわかった?」と聞かれて「一曲くらいなら」と答えていました。
Pap_0393
この避難所は他の場所と違い、居室が複数にわかれていて、今回お邪魔した部屋はそのうちのひとつでした。他の部屋ではもう少し若い人たちが車座になって食事をしていたりと、別に生活をしている状況がみてとれました。
山田町の街中にある公園に津波で流された商店主が集まり、仮設テントでよりあい商店街をしているとニュースで知り、様子を見に行きました。本屋、花屋、写真屋、保険代理店、自転車屋、それにお菓子屋が入っていました。本を二冊買い、公園でしばらく佇んでいると小学生男児の集団がやってきて「何かちょうだい」と言ってきました。車にちょうどバルーンをつんでいたので、プードルなどを作って差し出したら、子供たちがそれをもぎとって地面にふみつけて割って遊び始めました。被災地の子供はストレスがたまっているのかな?と思った光景でした。

10月 20

宮古市「藤原三丁目」「河南」 2012/10/20

秋晴れの良い一日でした。
106号線は盛岡から宮古にたどりつくまで、何箇所も工事で片側通行になっていて、移動時間が読めない状態になっていましたが、ゆっくりと山々の紅葉を眺める機会を得ました。
午前 10:30-11:30 藤原三丁目
到着直後、駐在していた巡回員さんに
「今日は皆さん来ないかもしれない‥」
と言われました。
理由は様々だと思いますが、私個人としては音楽療法に参加しなくても、仮設に住む皆さんが日々の暮らしで充足しているのであれば私の来訪が不要にることが悲しいことだと決して思いません。しかし、何らかの理由で住民の皆さんが談話室に足を運ばなくなったのであれば、それは何とか対策を講じなければいけないのではないかと思いました。
談話室にはウクレレ演奏者の皆さんが楽しく交流された記録がありました。
その他、手工芸の作品も多く展示されていて、たくさんの活動がここで行われていた名残りを見ることが出来ました。
Imgp4200
Imgp4201
Imgp4202
時間を少々過ぎて、お二人の方が音楽療法に参加してくださいました。
彼らのリクエストを中心に、歌を歌いました。
これまでここに何度もお邪魔してますが、過去に参加してくださった数名の方々は、結局最後まで顔を見せてはいただけませんでした。とても残念です。4月以来久々の訪問だったので、お会いできるのが楽しみだったのですが。
そのかわり、本日の参加者からは昭和20年代の曲を歌ったあとに、アイオン台風とカザリン台風で藤原地区が被った甚大な被害の記憶を語ってもらいました。とても貴重なお話でした。
午後 13:30-14:30 河南
Imgp4208
とにかく!!明るい皆さんです!!
我々(私となすちゃん)の一挙手一投足に大笑いしていただき、その都度エッヂの効いた突っ込みを入れていただきました。
午前中は青森県黒石市から、干支のねぶたを作るボランティアが入っていたのですが、その疲れも見せずに1時間ずっと元気な歌声が響いていました。
このパワー見習いたいです。
それにしても、なすちゃんの人気はここにきて凄いことになってます。
ちょっと嫉妬‥。
Imgp4219
ついあおられてハッスルするなすちゃん画像。

10月 19

宮古市 川井「岡村集会所」2012/10/19

宮古市川井は、昔は川井村という大きな自治体でした。
その頃から、音楽療法を取り入れて下さっていて、私はあちこちの小さな集会所・公民館で活動してきました。
今年度は二か所のみですが、六月の「桐内」はまるでおとぎ話に出てくるような、山の中の小さな集落でした。
今日お邪魔した「岡村」は、国道沿いにある集落で、私は毎週仮設を巡回する時に生きも帰りも通過しているところでしたが、こんなところに集会所があるとは夢にも思いませんでした。
(結局、川井の支所にお邪魔して地図をコピーしてもらって、やっとたどり着いたくらいです)
Sh3i0004
内装がモダンな岡村集会所。
いつも通り、1時間ほど音楽療法を行った後は、参加した皆さんと一緒に川井の保健師さん・栄養士さんと一緒にお昼ご飯を食べました。
このご飯が美味しかった!毎度そうなんですけど。
自分でも料理をする身としては、参考になることばかりでした。
・黒豆を炒ってからご飯と一緒に炊くと良い
・炊いたあと、黒豆ご飯にすし酢をまぜると赤飯のように赤くなる
・鶏肉のひき肉を団子にする時、つなぎにはんぺんを入れる
Sh3i0013
詳しいレシピの紙をもらってきたので、興味のある方は是非私にお問い合わせください。
参加したお一人の女性は、最近向かいの山辺に熊の親子を目撃したそうです。
その後、家にリスが入ってきたとか。
「実は鹿もテンもいるんだよ、この辺り」
と言うので、かなり自然に近い環境なんですね。
テン‥黄色くてとてもきれいだそうです。

10月 18

宮古市「なかよし公園」「鍬ヶ崎」 2011/12/3

この日は雨でした。とても冷たい雨。
不慣れな宮古市の住宅街を右往左往しながら、指定された仮設を探していた我々は途方に暮れていました。
やっと到着したそれらしき場所には、談話室はありませんでした。
携帯から生活復興支援センターの職員さんに電話をかけて聞いてみても、さっぱり理解できません。だって談話室、いくら探しても無いんですから。濡れてはいけない電子楽器や紙の歌詞を抱えたまま、イライラだけがどんどん募っていきました。
そして一瞬でそのイライラは消失しました。
場所、間違えていたんです。
指定された仮設は、そこから数100m下ったところでした。
この時、電話で対応してくださった職員さん、本当にごめんなさい。
午前 10:30-11:30 なかよし公園
西が丘の住宅街にあるこの仮設は、盛岡からやってきた私にはちょっと難易度の高い場所にありました。
徐々に強まる雨脚に負けぬよう、急ぎ足で談話室に荷物を運びいれると、中には4名の参加者と社協職員さんがいました。
10曲ほど、みんなで歌唱しまして、ストレッチや体操を行いました。
Sh3i0033
お一人の男性から「異国の丘」をリクエストしていただき、歌った後で
「実は昔、シベリアに抑留されていたんだ」
というお話を聞きました。
私が行っている音楽療法の主な目的は、歌を歌うことも大事ですが、その歌が歌われていた時代を思い出して周囲の皆さんと一緒にお話をすることにあります。そのためには、私自身も歌と歌の背景を熟知する必要があります。
「異国の丘」はシベリア抑留を経験された方にとっては、特別な歌だということが、この日あらためて思い知らされました。
活動後、一人の参加者さんから声をかけられ
「実は昔(智田が行った)音楽療法の経験がある」
と言われました。何と奇遇な!
しかもそれを、わざわざ言いにいらしてくださって、本当に有難かったです。
午後 13:30-14:30 鍬ヶ崎
鍬ヶ崎、金が無ければ秋が崎。
かつて遊郭があり、宮古市で一番賑わっていた町がここ、鍬ヶ崎です。
前にこのブログで紹介した「魚正」というお寿司屋さんも、この鍬ヶ崎にあります。
「あうぇーこ」と呼ばれる、とても細い路地があり、映画館やストリップ小屋(!)もあった鍬ヶ崎は、今回の津波で見る影も無く破壊されてしまいました。
私がこの日に訪れたのは、鍬ヶ崎小学校のグランドに設置された仮設住宅の談話室です。
7名の参加者と、一人の社協職員、そしてボランティアの男性がいらっしゃいました。
たくさんの歌を歌いつつ、皆さんからかつての鍬ヶ崎の暮らしや住民の話を聞くことができました。
とても、とても面白い話でしたよ!!
本当に鍬ヶ崎はエピソードが豊富なところです。
帰り道は小高い「オクマン様」(熊野神社)を横目に帰ってきました。
Sh3i0074

10月 17

歌詞の提示について

仮設住宅の談話室では、一枚50円前後の白い模造紙に歌詞を書いたものを提示して、参加者と一緒に歌を歌っています。
この方法は昔から、高齢者や成人を対象とした集団音楽療法の現場では、最もポピュラーなやり方です。
一人ひとりに印刷した歌集を渡す方法もありますが、どちらを選択するかは活動の目的やセラピストの考え方によって変わってきます。
私の用いている方法をここでご紹介します。
1.鉛筆で下書きした上から、毛筆で歌詞を書いていきます。
Kami01
なぜ毛筆なのか?と良く聞かれますが、油性マジックで書いた文字よりも遠くの方まで見えること、一定の年代以上の方にとって見えやすいことが挙げられます。
私は左利きなので毛筆はとても苦手なのですが、毎回頑張って書いています。字は下手ですが、なるべく時間をかけて丁寧に書いています。
また、歌う節やセンテンスに合わせて行をかえています。見やすさを重視した結果です。
2.漢字の脇にふりがなをふります。
Kami02
どんなに簡単な漢字でも、必ずひらがなのふりがなをふります。歌う前に参加者と一緒に歌詞の読み合わせをして、読み方の確認も怠りません。ここでの目的は、読み間違いを防ぎ「参加者が恥をかかないようにする」ことです。
人前で大声を出して歌を歌う、という習慣が無い人が集団で音楽活動をするのは、とてもハードルが高い行為です。勇気を振り絞って参加してくださった方が、不用意に人前で恥をかくと二度と足を運んでくれなくなることもあります。
気持ち良く、楽しく活動を行うためには、足元の小石を取り除くように念には念を入れて、下準備を行うことが大切です。
3.作詞者、作曲者、歌集名、発表年を書きいれます。
Kami03
懐かしい唄をうたって発散、というのも大事な目的ですが、もっと大事なことは歌を媒介として参加者の昔の記憶をよみがえらせて、当時の思い出を語り合ってもらったり、参加者同士の交流を深めることです。
そのきっかけのひとつに、誰が曲を作って誰が歌ったのか。いつ流行したのか。その当時の日本(岩手)ではどんな出来事があったのかを下調べしておき、参加者の記憶の掘り起こしを手伝うのもセラピストの重要な仕事です。
4.模造紙裏側の四辺を布テープで補強します。
Kami04
歌詞を書いた模造紙は、談話室にあるホワイトボードにマグネットで貼り付けるために、折りたたんだものを広げ、使い終わったら再び折りたたみます。そんな作業を何年も繰り返すうち、紙は破け、疲弊していきます。
少しでも寿命を延ばすために、四辺をこうやって補強しておくと、せっかく時間をかけて丁寧に書いた歌詞も長持ちします。
ホワイトボードの無い談話室の場合(けっこうあります)、窓のカーテンにクリップで挟みますが、テープで補強してあるとクシャっとならないので便利です。
カーテンも無い場合は、最終手段で画鋲を使います。この場合もテープが貼ってあると長持ちします。
5.折り癖をつけて畳みます。
Kami05
Kami06
私は縦方向に三つ折り、横方向にも三つ折りで畳みます。
これは、入れるバッグが100円ショップで売っているもので、このサイズだとぴったりだからという理由です。
6.右上に曲名を書きいれ、年代別に丸いシールを貼りつける
Kami07
仮設住宅には、毎回「童謡・唱歌」「民謡」「流行歌」など300曲を持ち込んでいます。ここからリクエストを受けて取り出すのは、とても大変な作業なので、すぐに見つけられるように分かりやすい位置に曲名を入れ、年代別に色分けしたシールを貼っています。
金色→明治・大正
銀色→昭和戦前
青色→昭和20年代
緑色→昭和30年代
赤色→昭和40年代
桃色→昭和50年代~60年代
黄色→平成
橙色→民謡
 
※童謡・唱歌は年代で分別しました
カラオケのカタログからすると「たった300曲?」と思う方もいるかと思いますが、模造紙一枚につきたった一曲なので、私となすちゃん二人で談話室に持ち込むのは本当に大変です。しかも、参加者からリクエストを受けて日に日に曲数が増えてきているので、これから益々大変になるでしょう。
なすちゃんからは
「もっと減らそうよ」
「っていうかさらに分別してほしい」
と苦情が出ていますが‥さて、どうなるやら。