9月 11

一番最初の被災地訪問 2011/4/16-17

今日9月11日で、東日本大震災発生から1年半が経過しました。
震災当日、私はサイコドラマの増野肇先生から声をかけていただいた仕事で上京しており、友人と一緒に吉祥寺のオープンカフェでお茶を飲んでいました。大きく揺れたと思ったら、母と通話中だった携帯電話がいきなり不通になったので驚きました。
それから知人の家でニュース映像を見て、この地震が未曾有の大災害であることを知り、沿岸に住む親戚知人の安否が心配になりましたが、連絡の取りようが無くただじっとテレビ画面を見つめるだけの日々が続きました。
(岩手に帰る交通手段も無く、帰宅できたのは1週間後でした)
半月後、私は仕事先の大船渡市盛保育園で卒業式にお招きいただき、初めて実際に被災地となった沿岸の惨状を目の当たりにしました。ガソリンが手に入りにくいこの時期、運良く満タン近く残っていたガソリンを頼りに大船渡から三陸の道を北上し、釜石~山田~宮古と移動。何度も音楽療法で訪れた仕事先の建物が無残に壊れているのを見て、胸が痛みました。
愛車レガシーのタイヤは、この時に瓦礫の中を走行したため、一発でタイヤが駄目になりました。
私に被災地で音楽療法をするチャンスが到来したのは4月に入ってから。
宮古市在住の音楽療法士・佐々木良恵さんから連絡をいただき
「私は既に保健師さんから避難所で音楽療法をやってくれ、と依頼を受けて活動を開始していますが、一人では回りきれないので誰か内陸の方が助っ人に来て欲しいんです」
と言われ、真っ先に私が立候補しました。
その最初の仕事を書きます。
山田町 19:00-20:00 豊間根中学校体育館
会場となった中学校に到着すると、体育館の入り口でラーメンの炊き出しをしている若者から
「食べていきませんか」
と声をかけられました。とても美味しそうだったけど、仕事前だったのでご遠慮申し上げました。
体育館の中は夕食後、まったりと寛ぐ多くの人がいました。
ぐったりと横になる人がいる空間で、これから大きな音でキーボードを弾き、大きな声で歌を歌うのか‥と、気持ちが揺らぎました。まるで他人の家の寝室に上がり込んでいるような感覚です。
役場職員の男性たちが、パイプ椅子を真ん中に並べて、設営を手伝ってくれました。
時間になり、躊躇はありましたが自分の役割を果たそうと思い、音楽療法を開始。
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(携帯で撮影したので画像が粗いです)
すると、以前山田町の保健センターで行った音楽療法に参加してくださった、北浜地区(被害が大きかった場所)の女性が声をかけてくださり、無事がわかって私も安堵しました。と同時に、音楽療法経験者である彼女が楽しそうに歌っている様子から、それまでどんよりと曇りがちだった場の雰囲気を明るく牽引してくれました。
活動を終え、荷物を一緒に車まで運んでくれた役場職員の方が
「家も家族も流されたばあちゃんたちが、あんなに屈託なく歌って笑っているところ見て、俺泣きそうになりましたよ」
と言ってました。
その晩は宮古市内のホテル古窯に泊まりました。
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校体育館
入口で職員の方と少々押し問答があった後、事情を知っている保健師さん(遠隔地から派遣された方)に取り次いでもらい、ようやく中へ入ると、前日の豊間根とはうって変わって、段ボールの仕切りでそれぞれのスペースが確保された形態の避難所でした。
活動準備をしている最中、何事かと思って近寄って来た小学生の女の子に
「なにするの」
と聞かれ
「みんなで歌を歌うんだよ」
と説明すると
「わたし、音楽嫌い。聞きたくない、やめて」
と強い口調で言われました。でも仕事だからね、となだめようとした途端
「嫌だって言ってるでしょ!!」
と、キーボードのアダプターをコンセントから抜き、床に投げ捨ててそのままどこかへ去って行ってしまいました。
気を取り直して活動を始めましたが、会場内の人は誰一人、用意した席には座りません。
目の前に誰もいない状態で、持って来た歌詞を提示しながら何曲も何曲も、弾き歌い続けました。
佐々木良恵さんが二人の女性を連れてきてくださったのですが、そのお二人もすぐにどこかへ行ってしまいました。
こうして誰も参加者がいないまま時間になり、荷物を片付け撤収。
体育館の出口に差し掛かったあたりで、会場からパラパラと拍手が聴こえてきました。
そして一人の女性が近寄ってきて
「いつも膏薬を足に貼る時に痛くて苦しいんだけど、今日は歌を聞きながらやったから痛くなかった。ありがとう」
と言ってくださいました。
この日から8月上旬までの間、避難所巡回の日々が始まったのでした。

9月 10

大槌町「吉里吉里中学校グランド」2012/9/8

大槌町 16:00-17:00 吉里吉里中学校グランド
初めてお邪魔する仮設。
仲介してくれている「ジャパンクリエイト」からFAX送信された地図を頼りにたどり着くと、規模の大きな仮設団地でした。
大槌の仮設は、自動車で敷地内に入ると、通路と玄関の距離がとても近いので運転していてちょっと怖いです。
あと、浪板にもあった茶色い大きめタンク‥あれ、なんのタンクだろう。
時間より40分ほど早く到着すると、入口に女性の姿が。話しかけると
「ああ、ちょうど良かったです。談話室の鍵を管理している者ですが、これから出かけなければいけないので、置き手紙をして鍵を開けていることをお伝えしようと思ってました」
とのこと。
入口にあるベンチは、子供たちがペイントしたのか?とても可愛い模様が描かれていました。
いいなーこれ。
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談話室にお邪魔すると、びっくりするほど荷物がたくさん!
物置かと思いました‥(失礼)。
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壁には劇団四季の役者さん(ユタと愉快な仲間たち、で巡業にいらした皆さん)のサインが模造紙に書かれて貼られていました。ペドロ役の方は岩手のご出身だったと思います。
「ともだちはいいもんだ」は名曲ですね。
(増野肇先生のサイコドラマで何度か伴奏しました)
ここでも時間(夕方4時)になっても誰も来る気配が無く、参加ゼロを覚悟していたその時!!
ガヤガヤと声がして、5名の方が扉を開けて部屋に入って来てくださいました。良かった!
大槌の方は、本当に明るいというか、最初からフルスロットルでこちらにグイグイと迫ってきます。
「ごめんね、時間に来ようと思ってたんだけど」
「夕食作る時間だからねえ、今。もっと早い時間に来てよ」
と、非常にフレンドリーです。
短い時間でしたが、9曲一緒に唄いました。
最後は、参加された一人の女性が発案して、「きよしのズンドコ節」に合わせた炭鉱節の踊りをみんなで踊って盛り上がりました。この歌でこの振り付け、合うんですね~大発見。
「また来て!」
と言われてとても感激しました。ありがとうございました!
帰り道、きらり復幸商店街で値引きされたシュークリームで疲れを癒しました。
値引き、大好き。
(ケチ)

9月 10

宮古市「藤畑」「高浜」2012/9/8

午前10:20-11:20 藤畑
藤畑の仮設は3回目の訪問。
最初に来た日は、岩手日報の記事に取り上げられた菜園開始の日でした。
その時、紫蘇をまこうとしている住人の方に
「紫蘇をまく時は、種を一晩お水に浸けておかないと発芽しないかもしれませんよ」
と(余計なことだったかもしれませんが)アドバイスしたのをおぼえています。
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この日は時間になっても誰も来なかったので、これは参加ゼロかな?と思ったのですが。
やがて、一人の女性と、若いお母さん&お子さん3人がいらっしゃいました。
子供は幼稚園、2歳、1歳?と小さかったので、急きょアシスタントのなすちゃんに玩具と風船セットを車から持ってきてもらいました。
風船セットはとても便利なんです。普通の丸い風船と、アートバルーンを常備してます。玩具も、音のなる豚の人形とか、そういうのを揃えてます。
一番大きいお兄ちゃんが仮面ライダー大好き!というので、バルーンで剣を作り、玩具を怪人にみたててバトルごっこで遊びました。
仮設の子供たちは風船ひとつ、素朴な玩具ひとつでとても喜んでくれます。きっと、より年の近い子供と一緒だったらもっとハッスルしたかもしれませんが、まあ40代のおっさんで我慢してもらいました。てへへ。
1時間ほど遊んでからお別れすると「またね、バイバイ」とお兄ちゃんから言われました。
聞きわけの良さがかえって切ない気持ちにさせました。
また来るよ!おじさんだけど!!
それにしても、子供用の音楽をもっと知っていないと駄目だなーと痛感。
仮面ライダー、戦隊もの、プリキュアは必須ですね。
帰り際、宮古工業高校の近くに被災した食堂が新たに建物を新築して営業している、と聞いてそこに向かいました。
私はカツフライ定食、アシスタントのなすちゃんは何故かトン汁定食を食べました。
午後13:30-14:30 高浜
高浜は何度も訪問している場所です。この日は日本赤十字社の皆さんも一緒でした。
談話室に入ると、見覚えのあるちょっと太めの小学生男子がいて、キーボードを触りたそうにしていたのでさっそく電源をつなげました。
音色を変えながら、少々乱暴な手つきで即興を楽しんでいましたが、時間になると友達と一緒にどこかへ去っていきました。
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会場には10名、住民の方々が集まって下さいました。
サイコロの目で「どの年代の唄をうたうか」を決め、10曲を合唱しました。
その後は日赤の男性職員にも飛び入り参加していただき、しかも芸者と侍のカツラをかぶってもらいながら、あてふりで面白おかしく踊ってみました。なんてノリの良い皆さん!とびっくり。ありがとうございます!
仮設での音楽療法は、とにかく「楽しんでもらう」ことを目指しています。
涙が出るほど、腹を抱えて笑ってもらうと本望です。
この日も、皆さんとても笑って下さったので、来た甲斐がありました。

9月 10

紫波町古舘公民館「ひまわり」サロン 2012/9/7

最初の記事がまさか内陸での活動報告になるとは。
これも面白い巡り合わせです。
紫波町にある古舘公民館はホールその他が新しくなったばかりのピカピカな建物です。
客席はボタンを押すと、まるでサンダーバードのようにゴゴゴと自動的に折りたたまれ収納されるハイテクホールなのです。
ここの館長先生は私の弟の恩師で、初対面からとても優しく話しかけてくださいました。
さて、この日は「内陸に移住してきた、東日本大震災の被災者の皆さん」を囲んでのサロン活動をボランティアで行っている「ひまわり」というグループから声をかけていただき、訪問しました。
紫波町の高齢者グループと共同のイベントです。
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参加された皆さんは階段状の客席に座っていて、少々私から距離があいていたので、いきなり「歌いましょう」という雰囲気ではありませんでした。そこで、1年以上通って聞きおぼえた宮古弁を文字とイラストにしたスケッチブックを提示して発声練習としました。
「これ、私のほうでも言うわ」
「ん?これはわからない」
と、たくさんの声が出てきました。
「やはり、内陸にいる皆さんは土地の言葉を懐かしく感じてくださっているのだな」
と思って、私はちょっぴり調子に乗って三陸の町が今どうなっているのか、新しく出来た建物や道路や風景の話を始めました。すると、にこやかに話を聞く人とは裏腹に、無表情に下をうつむく人もちらほら。
私は、はっとしました。遠く離れた場所に避難している人の中には、ふるさとの話を聞くのが辛い人もいるのかもしれない。
いつもアウトリーチ(実際に被災地へ赴いて活動する形)ばかりの自分には、今回のような皆さんと接するのが初めてで、考えた及ばないところもあったのだ、という反省をしました。そして大きな学びとなりました。
それからサイコロを使って参加者からリクエストを募り、8曲ほど合唱しました。
(あてふりもしましたよ)
最後に、一人の男性から
「ふるさとを歌いたい」
という声があがり、みんなで歌っておひらきとなりました。
また皆さんと御一緒できれば嬉しいです。