避難所巡回時代の光景 2

昨年2011年の6月、山田町長崎にある「なかよし公園」に国連WFP協会が大きなテントを設営しました。目的は、震災津波(そして大規模火災)で店舗を失った商店主が、仮設店舗で営業再開できるように、というものでした。
私はこの頃、午前に宮古小学校、午後2時から山田町のはまなす学園、夜7時から山田町の避難所(週替わり)というスケジュールで動いていたので、はまなす学園終了後の数時間をどこで過ごせば良いかいつも悩んでおりました。
ある日、この「なかよし公園」商店街が開設されたと聞いて、空き時間にちょっと立ち寄ってみようかな‥と思い立ち足を運んでみたところ‥
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なかよし公園商店街の入り口
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表では学校帰りの子供たちが大勢遊んでいました。
数名の小学生たちが、興味深そうに
「おじさんたち、どこから来たの」
「何しに来たの」
と興味深そうに寄って来たので、車に用意していたアートバルーンを使って犬やねずみを作って渡しました。最初はみんな嬉しそうに受け取っていたのですが、大きな男子たちが数名来て
「おりゃー」
と足で動物のバルーンを踏みつぶす遊びを始めたのです。それを見ていた他の子も、真似して踏みつぶし、彼らが去った後はバルーンの残骸がほうぼうに飛び散っていました。なんだかずっとこの出来事が忘れられません。
とはいえ、ちょっと仲良くなった少年少女と、ほのぼのした交流も生まれたんですけどね。
彼らは今、どうしているのでしょう。
商店街の中にはケーキ屋さん、写真屋さん、自転車屋さん、生鮮食品屋さん、布団屋さん、衣料品店、保険代理店、そして本屋さんがありました。私は毎回、この本屋さんでオレンジページやすてきにハンドメイドなどの雑誌を買っていました。ケーキも美味しかったですよ。
この商店街、先日行った時にはもう撤去されていました。
中に入っていた店舗は、いくつか国道からすぐの場所にあるプレハブ商店街へ引っ越しをして、営業を続けていると聞きました。
空き時間を潰そうと、風呂に入りにいったこともありました。
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山田町豊間根にある嶋田鉱泉は、ボランティアや自衛隊の人たちで大賑わいでしたが、私にはお湯の温度が高すぎて‥ギブアップでした。
豊間根は宮古市と山田町の境界線にある場所で
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このコンビニと
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この食堂が憩いの場でした。
たまに遠出したくなると、さらに南下して大槌町まで足をのばしました。
(この頃まだ我々は大槌町と御縁はありませんでしたが)
津波で街並みが失われたこの町の小高い丘にのぼり、蒼くきらめく美しい海を何度も眺めました。
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同じ風景をこの仏像も長い間ずっと見ていました。
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そして犬。
わんわん。
(吠えませんでしたけどね)

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