看護学生さんへ講義してきました

毎年恒例となった、二戸高等看護学院の生徒さんへの講義をしてきました。いつもだったら青森県の音楽療法士、山道敦子さんと一緒なのですが、あいにく今年はスケジュールが合わず、私単独です。朝8時50分から昼休みをはさんで夕方4時10分までの長丁場。生徒さんも大変でしょうが、こちらも大変です。

4コマの講義を「音楽療法概論Ⅰ」「音楽療法概論Ⅱ」「ワークショップⅠ」「ワークショップⅡ」とわけて、PowerPointで作成した資料での講義や、緩和ケアのDVD視聴、そして創作体験やゲームをしました。01

いえいえ、どういたしまして。

音楽療法は直接看護学生さんたちにとっては必要のないものかもしれませんが、病気や障害を抱えて治療やリハビリテーションに専念する日々の中で、やはり人は暮らしに潤いや楽しみ、生きがいを欲するものです。もし自分がその立場だったらどう思うか?何を欲するか?暮らしにどういう影響があるのか?という、相手の気持ちになってみる想像力が医療スタッフにとって大事なことだと想います。

その流れで、私は自分の経験した「患者になった時の気持ち」「患者の家族として医療スタッフへ向けた想い」などをお話しました。私の父がスキル胃癌に倒れたのは、私が29歳、父が58歳の時でした。父は精神科医で、自ら大きな病院を経営していたので、自分の体の異変に気づいて友人の医者にレントゲン撮影してもらった画像を初に見た時から、自らの余命を悟っていました。しかしかけがえのない父があと数ヶ月で死んでしまう、という事実は我々家族にとって受け入れがたいものでした。それぞれがどうにか父が助かる方法は無いものか、と漢方医や鍼灸師、代替医療などのつてを頼って(オカルトまがいの人脈まで頼って)色んなことを試していました。しかし、そんな様子を見ても父の治療にあたる医療スタッフたちは、カウントダウンに向けて粛々とIVHを入れ、緩和ケアを開始し、最初の予言通りの進行に従った行動をするだけでした。

私も医療現場のはしっこで働く人間、という側から見れば当時のスタッフのやっていること、考えには何ら異存は無いのですが、患者の家族として当時のことを思い出すたびに、今でも「家族が治ると信じて頑張っているのに、それを冷たくあしらわれている感じ」が切なく、そして悲しい気分になります

人の命は尊いのですが、あっけないです。いつか死にます。しかしそれを取り巻く家族や友人知人にとって、受け入れがたい気持ちもある、ということを「相手の気持になってみる想像力」で少しだけおもんばかってくれれば、どんなに救われることか…ということをお伝えしました。いずれ生徒さんたちは過酷な命の現場へと足を踏み出すでしょう、その時にちょっとでもこの時の私の経験が記憶の片隅に残っていてくれたらいいな、と思いました。

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