避難所巡回時代八回目 2011/6/4

記録を転載します。
この日、宮古では研修生が一人だけ同行しましたが、山田町は単独で行いました。
私はこれまでずっとアシスタントをつけずに何もかも一人で行うスタイルで仕事をしてきたのですが、この避難所巡回をいざ単独で行ってみると、かなり体力的・精神的にキツいものがありました。
なすちゃんの不在も大きな要因のひとつでした。
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
キーボードを設置していると、珍しく小学生三名が近寄ってきました。椅子に座ったので、一番年長の女児に歌集を渡しました。他の男児二人は椅子に座ったものの、携帯ゲーム機に夢中でした。年長の女児に「何か聞きたい曲あるかな」と聞いて、その答えを待っている最中に彼女の母親らしき大人に手招きされて、三人ともどこかへ行ってしまいました。
居住空間に寝ていたAさんに声をかけて、椅子まで誘導し活動を開始しました。Aさんには「ニューミュージックのすべて」という楽譜集を最初に渡して、そのからリクエストを出してもらうようにしました。Aさんはじっくりと目次を眺め、その中からイルカやオフコース、谷山浩子、井上陽水、泉谷しげるなどがリクエストされました。
一通り歌が終わったあと、Aさんが自分の半生を語り始めました。そして我々音楽療法士の活動に対しては
「毎週のこの時間が楽しみで生活している。いつもテープやラジオで音楽を聞いているけど、震災以来これほど音楽を身近に感じることができるのは他にない」
と言い、パスカルの「魂を極める音楽」という言葉を引き合いに出しました。
しばらく後にCさんが来て「今日はあのお姉ちゃんいないのか」と研修生の不在の理由を聞いてきました。首にネッカチーフを巻き、柄物のシャツを着ていて、先週よりお洒落な格好をしていました。前回のリクエストである都はるみ「千年の古都」を弾き歌いすると、Aさんから「良い曲だねこれ、初めて知った」と感想を言われ、満足そうな表情を浮かべていました。
一番キーボードの位置に近い場所で生活しているDさん夫妻に対し、活動終了の挨拶にうかがったところ、旦那さんは若い頃に都会でギターの流しをして生計を立てていたという話を始めた。今でも数千曲もの唄をそらんじているとのこと。10年近く前に三陸へ夫婦で引っ越してきて、新生活をスタートさせたのだが、運悪く海岸近くに住んでいたので今回津波の被害に遭い、避難所生活を余儀なくされた。夫婦で身体障がいを抱えていて、これから生活の見通しがつかないと言っていました。
片づけを終えて避難所を去ろうとした時、皆さんから「今日外でバーベキューやっているから、食べていきなよ」と言われました。音楽療法訪問者としては避難所で食べ物をいただかないように決めていたのですが、冒頭の女児がわざわざ外まで言って我々の分を持ってきてくれたので、ありがたくいただくこととしました。
山田町 14:30-15:00 はまなす学園
 
定刻に到着すると、玄関先で一人の入所者が出迎えてくれていました。「今日は一人なのか」と聞かれて「そうです」と答えると、大変だろうからと一緒に荷物を運んでくれました。
今回は歌で導入した後に、キーボードのリズムをずっと流しながら上半身を中心としたダンス活動を行いました。この日は北海道からボランティアの若者が数名来ていて、入所者と一緒に楽しそうに踊っていました。
 その後は参加者からリクエスト曲を募り、7曲ほど歌った後に終了しました。
山田町 19:00-20:00 山田町豊間根生活改善センター
 
二回目の訪問となる避難所でしたが、少し早目に会場入りすると屋内には人が殆ど見当たりませんでした。唯一残っている男性の話では、隣の保育所でボランティア団体主催のイベント(マジックショー、出張美容院、炊き出しとワインの試飲会)が開催されていて、そちらに大勢出かけているとのことでした。
開始時間近くなって、ようやく人が集まってきましたが、その中にワインの大瓶を手にした男性がいて、ろれつが回らず千鳥足の状態でした。
「今日は女連れじゃないのか」
と言ってきたので
「お休みをいただいてます」
と答えると
「じゃあ代わりに俺が歌ってやるよ」
と言いました。この他にも酩酊状態で騒ぐ男性が二人ほどいて、館長(避難所を取り仕切っている方)がやんわりと諭していましたが、ワインを床にこぼしたり、転倒して他の人の上に覆いかぶさるなど、徐々に周囲への影響が大きくなってきました。すると、一番奥の壁際で事態を静観していた20代の男性が、酩酊している男性に向かって
「いい加減にしろ」
と大声で怒鳴り、この男性を追いだしてしまいました。
事後、館長さんから
「あの(酩酊していた)男性も、本当は良い人なんだけど、津波のせいで漁師の仕事が出来ない辛さ、悲しさで酒を飲んだんだと思う。どうか悪く思わないで下さい」
と言われ
「気にしてません、また来ます」
と伝えました。
帰り道、誰もいないひとりきりの車を運転しながら、今までにない寂寞とした思いがしました。そして暗い山道の中で、自分は何のために、誰のためにこのような活動を“誰にも頼まれていないのに”行っているのか。これからも続けられるのかを自問自答し続けました。今でも思い出します。
この日の翌日は早朝から新幹線に乗って、新大塚の東邦音楽大学を会場に災害対策特別講習会というイベントで話をするため上京しました。さすがに体はキツかったですが、前日の帰り道でずっと考えていた
「自分が被災地で行うべきこと、その際の心のありかた、持ち続け方」
を見いだす機会をいただいたような気がします。

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