避難所巡回時代七回目 2011/5/28

過去に書いた記録から転載します。
5月28日(土曜日)、東日本大震災および津波の被災地である岩手県宮古市と山田町を訪問し、避難所で生活する方たちへ音楽療法を実施してきました。同行者は研修生2名。いつも運転などを担当してくれていた知人男性は体調不良のため欠席となりました。
(※知人男性というのは、最近の仮設訪問で毎回一緒に行ってくれているなすちゃんのことです。この日の朝、いきなり体調不良を電話で告げられ、これ以降一緒に避難所を回ることが出来なくなりました。このことは私にとって非常に衝撃的な出来事でした)
前回、はまなす学園の施設長から「日程的に都合が悪い」との連絡を受け、今回は訪問しないことになりました。
 
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
開始時間前から、毎週参加のAさんが椅子に座り、早速映画音楽などリクエストをしました。宮城県の新聞社から取材に来ている男性記者が隣にいましたが、さして気にする様子もなく、質問にも明るく答えながら機嫌よく語り合っている様子がうかがえました。しばらくして身体障がいのあるBさん、先週初めて参加した50代女性(赤い靴のタンゴをリクエストした)、何度か参加したことのある70代女性、そしてとても良くしゃべる60代男性Cさんが入れ替わり着席して、我々とやり取りをしながら一緒に歌唱活動をしました。
  
Aさん‥矢継ぎ早に「この曲は知ってる?」「あれを弾いてほしい」と欲求が出るが、他の方の応対をしている間にそれを後回しにすると、活動後に「弾かなかったね」と苦言を呈するように
Bさん‥活動開始後すぐに着席したが、Aさんのリクエスト曲を数曲演奏している間にどこかへ出て行ってしまい、戻ってこなかった
Cさん‥都はるみが大好きで、平成に入ってからの曲も詳しい。「千年の古都」をリクエストしたが、こちらが用意した歌集のどれにも入っておらず、演奏は断念せざるを得なかった。次回必ず持ってきます、と約束。研修生二人と酒場のようなやりとりをして楽しんでいる様子。
50代女性‥着席後、テーブルに数冊の歌集(昭和の歌謡曲)を持って行き「何か唄いたい曲があれば遠慮なく申しつけてください」と言うと、研修生を通してリクエストを寄こす。それ以外に、自分の手帳に曲名を一生懸命書きうつしている様子がうかがえる。時間の途中で退席して、入口のあたりで他の方と談笑している。
70代女性‥Aさんと洋画の話で盛り上がり、自身の好きだった映画音楽や洋楽について語り始める。「小さな喫茶店」などの古い曲が好き。
前々回から我々が伴奏で使用する目的で持参している分厚い歌集を、参加者が自分の好きな曲をリクエストする際に参考にするために渡す形が出来上がってきた。もっと見やすいように、大きな印字でインデックスだけ印刷して配布する方法も考慮する必要があります。椅子に座る参加者は、楽曲を通じてどんどん話をしてもらった方が良いと思いますが、そうすると音楽の無い時間が増えて、ついたての蔭で聞いている場内の人々への配慮に欠けるのではないか?という危惧もあり折り合いが難しいところです。
※ところでこの日取材に来た記者からそれ以降全く連絡が無かったのですが、取材した内容はどうなったのでしょう。沢山時間を割いて話をしたので、残念です
山田町 19:00-20:00 豊間根小学校格技場
 
避難所の外でちょうど担当の保健師さんとお会いすることができて、これまでの山田町各地避難所のその後について話をうかがうことができました。また、これ以降の避難所巡回についても三週間先までのスケジュールを渡され、長期的に被災地での活動を継続できる見通しが立って非常に嬉しく思いました。
 
この避難所での音楽療法は二度目でしたが、会場に入った途端にそこかしこからあたたかい声援と拍手をいただきました。「待ち遠しかった」と言ってくださった方もいました。
あらかじめ集計したリクエストに基づいた、この避難所専用の歌集を作成していたので、会場にいた全員に配布し、何を唄いたいかを聞きながら進行していきました。リクエストの中には、我々音楽療法士が現場でそれほど使用しない楽曲、一度も聞いたことがない楽曲が多く含まれてました。研修生が事前に楽譜を用意していましたが、やはり付け焼刃で弾き歌いしたものは、あまり場に浸透しない実感がありました。また、前回と同様に英語の歌詞で歌唱する難しさも感じました。リクエストに基づいた歌集のもう一つの難しさは、一人のリクエスト曲を他の大勢の方がわからずに場が白けることです。
※色々と動揺していて心の余裕が無い日だったので、写真撮影は全くしておりませんでした。画像、ありません

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