避難所巡回 五回目 2011/5/14

以前の記録から転載します。
5月14日(土曜日)、東日本大震災および津波の被災地である岩手県宮古市と山田町を訪問し、避難所で生活する方たちへ音楽療法を実施してきました。同行者は3人。
大型連休も終わり、全国各地から集まったボランティアや観光客(野次馬も含む)の姿も少なくなりました。
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
2週間ぶりの訪問となった宮古小学校ですが、到着して最初に目についたのは校庭に設営していた自衛隊の車両やテントが無くなって、児童たちがサッカーに講じている光景でした。学校が再開され、ここは既に避難所ではなく元の小学校に戻ったということでしょう。体育館の一角だけは、従来通りゼッケンをつけたボランティアや救援物資の段ボール箱が山積みになっていて、日常と非日常が混然一体となった不思議な空間になっていました。
炊き出しを担当していた自衛隊の代わりに、YMCAのゼッケンをつけた人が大勢入口にいました。以前からいた全労災のゼッケンをつけた方も含め、複数の組織が入れ替わり立ち替わり出入りしている状況は相変わらずのようです。
屋内に入ると前回よりさらに人が少なく、ついたての段ボールで区切られた個々のスペースも、戸数が減ったように見えました。最初に訪問した時は120名超の避難民が暮らしていた体育館ですが、食事量を確認したところ現在は60名余とのことでした。
この日は屋外でボランティア主催の縁日とバザーが開催されていて、そちらに参加するため外へ出た方、日中に自宅の片付けをしに帰宅している方、仕事へ行った方の他は高齢者と児童、面会者、ボランティアなど10時過ぎの時点で体育館に残っている方は10名ほどでした。
いつも通りキーボードを舞台の前に設置したので、体育館全体を見渡せる位置にいましたが、やはり視界に入る人々は疲れた顔でうつむいていたり、布団の上に寝転んでじっと天井を見ていて、これから楽しく音楽を開始しましょう!と呼びかける雰囲気ではありませんでした。できるだけ耳触りにならない音色(エレキピアノ等)を設定し、控えめな音量で60年代の洋楽や外国の古い映画音楽(Aさんの姿はありませんでしたが、何故か彼の存在を想定した選曲になりました)を弾きました。研修生が少し離れた場所に座っている高齢の女性に「リクエストがあれば聞かせて欲しい」と聞き、鳥羽一郎だったら何でも良いと言われ、ムード一転「兄弟船」を弾いたところでいつものAさん、Bさんが外出から帰ってきて、参加しました。
Aさんからは再び「ヘンリーマンシーニ作曲のひまわり主題歌を弾いてほしい」とリクエストが出たので、音色をピアノに変え、事前に暗譜したアレンジでで弾きました。「どうですか」と感想を求めたら「うん、前よりはだいぶ良くなったけど実際に映画で流れたのはその音色じゃないよね」と言われました。「映画ではテーマが二度目に繰り返される時にピアノからチェンバロになるんです」と説明して、音色をチェンバロに変えると「うーん、こんなだったかな?」と首をかしげていました。この映画の記憶はありますか?と質問したところ「ある」と言うので、おおまかなあらすじを教えて欲しいと言うと、俳優(ソフィアローレンとマルチェロマストロヤンニ)のふるまいや表情を思い出しながら説明してくださいました。Aさんは興味のあること以外の質問や、探るような聞き方(例えば、××という洋楽はどうですか、など)にははっきりと返答をせず、しばし黙考した後にそれとは関係の無い自分のしゃべりたいことを訥々と語る、といった様子です。好きな曲を聴きにくる、というよりは自分の昔話をしにくるのが楽しみなのかもしれません。
Bさんはマスクをしていたせいか、問いかけに対する答えがなかなか聞きとれず、何度も聞き返してしまい負担をかけたように思います。マスクのせいだけではなく、もしかしたらいつもよりろれつが回っていなかったのかもしれません。任侠映画に関するリクエストがあった、と後で研修生から知らされましたが、こちらが勝手に弾いている曲にも柔和な表情で耳を傾けていました。松任谷由実の「春よ来い」のリクエストが出て、終了時間が来ました。
帰り際、この避難所をずっと担当している市役所職員の男性から、縁日で出ていたソーセージを差し入れしていただきました。通りがかった避難民の男性が「せっかくもらったんだから、ちゃんと食えよ」と言われ、みんなで御礼を言ってその場を去りました。
山田町 14:00-15:00 はまなす学園
宮古市同様、駐車場にいつもいた自衛隊の車両が消え、かわりに施設職員以外のボランティア、外国の報道、工事業者などの出入りが多かった日でした。
前回から、ベテランの女性職員が活動の最初から最後まで入所者の皆さんに寄り添って、彼らの言いたいことを代弁したり、楽器配布の際に最適な方を指定してくれたりと、非常にこちらが動きやすいサポートをしてくださるようになりました。ボランティアで来ている我々は、入所者について情報が無く全くの手探り状態で活動していたため、積極的な職員の介入を心強く感じました。
導入時「何か好きな曲があったら教えてください」と言いましたが、反応が薄くほんの数名が前回と同じ曲をリクエストしただけでした。反面、一回目から継続している「おもちゃのチャチャチャ」での楽器演奏は、慣れて来て反応が良くなってきました。前任者である佐々木氏からの申し送りにあった「踊りが好きな方が多い」という言葉通り、立ちあがって演奏に合わせて身体を動かす人が数名いました。この場所での活動メニューにもう少し身体的なものを増やした方が良い、と感じました。
山田町 19:00-20:00 新田地区集落農事集会所
小さな集落の小さな公民館に10名が身を寄せ合って暮らす、これまでで最も小規模の避難所でした。10代の女性を含む数世帯と、近所からも夫婦がひと組参加して、大変和気あいあいとした雰囲気の中での活動となりました。全員が寝泊まりする和室には布団と荷物が溢れかえりそうに積まれ、頭上には洗濯ものが干してあって、生活感のある空間でした。
我々は約束の19時より十数分早く到着して準備を開始しましたが、テレビを見ていた男性が気を使って「消したほうがいいよね」と聞いてきました。「まだ時間がありますから、寛いでて下さい」と答えましたが男性はスイッチを消し、その場にいた全員がこちらを向いてじっと押し黙ったまま待っていたので、数分前倒しをして開始しました。
玄関には山田町保健センターが作成した音楽療法の告知が貼られていて、皆さんはこれから音楽に関する何かが始まるとおぼろげに予測されているようでしたが、この日も冒頭の活動はストレッチから入りました。未だに最初から音楽活動から導入は出来ずにいます。また、この日はずっと継続して行っていた「あてふり」を活動項目から外しました。通常の介護予防教室や公民館の講座と違い、避難所での活動はなるべく静かに、音楽以外の導入から開始したほうが相手もこちらも抵抗が少ないように思います。
参加者の様子で印象的だったのは、古い歌謡曲は全くわからないと言っていた10代の女性の存在です。この方は近所にお住まいの70代夫婦のお孫さんだったのですが、「星影のワルツはじいちゃんがばあちゃんにアイスをおねだりする時の歌ッコだね」と言って、部屋全員の笑いを誘っていました。
この日、山田町の被災地でホームセンターが営業を再開しました。周囲はまだ瓦礫の残っている状態でしたが、営業時間になるとたくさんの地元住民が集まり、賑わっていました。復興に向けた希望の光が見える、そんな光景でした。
ところでこの日、初めて豊間根にある「嶋田鉱泉」という入浴施設に行ってみました。
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熱くて熱くて、お湯には10秒と入ることができず。
みんな、よく入ってるなーとびっくりしました。熱湯コマーシャルか。

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