避難所巡回 四回目 2011/5/7

過去に書いた報告書を元に記事を書きます。
5月7日(土曜日)、東日本大震災および津波の被災地である岩手県山田町を訪問し、避難所で生活する方たちへ音楽療法を実施してきました。同行者は二名です。
これまで午前中に訪問していた宮古市の宮古小学校避難所からは、インフルエンザ発生のため中止要請の連絡が数日前に入り、訪問はしませんでした。午後のはまなす学園、山田町の避難所(船越防災センター)の二か所を訪問しましたので、ご報告いたします。
山田町 14:00-15:00 はまなす学園
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建物に入った途端、「音楽の人が来たよ、集まって」と利用者を誘導する職員の声が聞こえてきました。前回までは部屋でぼんやりと過ごしていた利用者がそのまま活動へと流れ込むといった印象でしたが、職員が率先して利用者を誘導し参加させる様子を見て大変嬉しく感じました。その反面、音楽を必要としない、もしくは活動参加の意欲が無い利用者が他の居室へと移動していく光景もありました(前回号泣した男性は不参加でした)。
前回リクエストのあった楽曲の歌唱から開始して、配布した打楽器での合奏などを行いました。職員の方々は、入所者の皆さんの名前を教えてくださったり、大きな声で盛り上げてくださったりと、大変協力的に関わってくださいました。
活動終了後、はまなす学園の施設長から、これまでの音楽活動がとても入所者のために良いので、これからも継続して行って欲しいと言っていただきました。こちらへ訪問するようになった経緯を説明して、避難所を訪問し続ける限りは立ち寄って音楽を提供したい意向を伝えました。
山田町 19:00-20:00 船越防災センター
これまでで最も人数の少ない避難所でしたが、参加なさった方の平均年齢が最も高い場所でもありました。子供や若者は廊下や別室でテレビやパソコンに講じていて不参加でしたが、活動中も自由に部屋を出入りし、また避難民に面会にいらした方の会話が部屋に大きく響いたりと、参加者の集中をうながすための努力が相当必要でした。これまで以上に、導入から歌唱までの雰囲気作りに苦労した気がします。一人、活発に発言される高齢の女性がいらして、彼女を中心に場の雰囲気がまとまってからは、寝そべっていた男性が何曲もリクエストを下さり、外で聞いていた方も扉の向こうで体操していて、徐々にいつも通りのペースで活動を進めることができました。
歌を歌いましょう、と呼びかけて活動を開始する雰囲気ではない避難所では、身体を動かしましょう、関節や筋肉をほぐしましょう、と言って細かく解説を織り交ぜながら少しずつ皆さんの気持ちがこちらへと向くように辛抱強く待つ必要があると感じました。
保健センターの方針なので仕方が無いのですが、終わった時に「また来て下さいね」と拍手をくださる皆さんに対して、しばらく再訪できないことを申し訳なく思いました。
今回訪問した船越地区は、豊間根よりも南に位置しており、コンビニエンスストアや公共のトイレの場所を確認するために、空き時間に南方面まで足を延ばしてみました。津波の被害が無かった場所では飲食店が営業を再開していましたが、大槌町という港町は位置が低く海までの至近距離に位置しているため壊滅状態で、営業しているコンビニエンスストアはわずか一軒のみでした。店内は物資の不足は無いものの、駐車場はひどく混雑しており、ゴミ箱は常に満杯の状態です。飲食店も終了時間が早く(18時前に終わるところが多かったです)スタッフの夕食確保に苦労しました。
船越防災センターでは3泊4日の当直を担当している岩手県職員の男性が、我々の応対をしてくださいました。事務所の床に薄い布団を直に敷いて寝泊まりしていると聞き「大変ですね」と言うと「震災直後は寒い大部屋に寝袋一枚渡されて、暖房も無い夜を過ごした。それに比べたら大丈夫」と言ってました。4日目の午前中に新しい担当と引き継ぎをして、午後に盛岡へ戻る勤務が、部署内では月に一度回ってくる、とのことでした。本来は宮古市に拠点を置いて、一人の人間が一か所の避難所にじっくりと腰を据えて業務を行うべきだが、今のめまぐるしい勤務状況では避難所で担当してくれる人の負担が大きくて気の毒だ、とも言ってました。
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