避難所巡回 三回目 2011/4/30

この文章も報告として以前書いたものですが、詳細や名称を変えて掲載します。
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
この日は大型連休初日だったせいか、盛岡から宮古へ向かう国道106号線が混雑していて、かなり時間に余裕を持って出発した筈がギリギリの到着になってしまいました。途中の道の駅には家族連れの姿が多くみられ、被災地に近いこの場所でも連休のレジャーを楽しむ余裕が出てきたようです。
避難所となっている体育館の入口で先週からここの代表者となった男性とお会いした際に
「今日は避難所から多くの皆さんが花見に出かけているために、先週よりさらに参加人数が少なくて申し訳無い」
と言われました。人が少なくても特に気にする必要は無い旨を告げ、いつも通りの場所にテーブルを据えて物品を準備しました。すると、先週宮古市保健センターでお会いした保健師さんが、ご自身のお子さんを連れて見学にいらっしゃいました。ご近所にお住まいとのことで、避難されている方とも顔見知りのようでした。お子さんは小学生の男児、女児二人だったので、常備しているアートバルーンセットで好きな形の動物を作って遊んでくださいと渡したところ、遠巻きにそれを見ていた避難所の児童数名がきて参加しはじめました。その中には代表者の男性のお孫さんもいました。
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 所定の場所に戻ると、目の前に用意した椅子には先週も参加した50代の男性(Aさん)、初の参加となる身体障がい(歩行困難)のある60代の男性(Bさん)が座り、曲のリクエストをしてきました。Aさん用に洋楽の楽譜集を持ってきたのですが、目次には英語での曲名で書いているので
「何なにの映画の主題歌」
と言われてから探すのがとても手間取りました。Aさんに
「どういうメロディか、ちょっと歌ってもらえませんか?」
と頼むと、鼻歌でひと節歌ってくれたので、それを頼りに和声をつけて演奏すると
「うん、だいぶ近いね。でも完璧ではないね」
と言われました。Aさんは主にヘンリー・マンシーニの曲が好きだ、とおっしゃいました。他にはどんな曲が良いですか?と聞くと
「井上陽水、吉田拓郎あたりのフォークソングを良く聞いていた」
と答えたので、70年代フォークソングを数曲弾き歌いしたところ、それらの曲が流行していた当時にAさんがどのような暮らしをしていたのか、を訥々と話し始めました。Aさんの想い出話を隣にいたBさんも興味深そうに聞いていました。
Bさんからのリクエストは、Bさんを良く知る保健師さんから伺いました。同期の桜、ラバウル小唄などの戦時歌謡や軍歌がお好みのようだったので、やはりその頃の曲をいくつか弾き歌いしました。Aさんの歌うフォークソングもいくつか知っている様子で、徐々に二人で一緒に歌える歌が増えてきました。
30分ほど経過したところで、もう一人の女性(Cさん)が参加しました。初日は我々の活動を遠巻きに見ていたけど、今日はちょっとだけ参加してみたいと言って椅子に座りました。
「演歌が歌いたい」
というリクエストだったので、先週他の方から寄せられたリクエストに応えるため用意した歌詞を用いて、比較的新しい演歌を数曲、全員で歌いました。不倫をテーマにした歌で、Aさんが
「女というのはこういう性質を持っているもんだよね、私にもおぼえがあるよ」
と言って他の皆さんの笑いを誘っていました。
活動を終えた後のCさんの話では、この避難所も少しずつ「自宅に戻る」「親戚の家に移動する」といった理由で退去する人が増え、そう遠くない将来には他の大きい避難所へ併合する可能性があるとのことでした。Cさん自身も、ご自宅の修復のあかつきにはここを離れると言っていました。同じ避難所に生活している人の間でも、生活の立て直しに向けて動き出した人と、まだ先が見えないままの人の差が、徐々に出はじめる時期なのかもしれません。
はまなす学園までの空き時間に、山田町役場へ行きました。駐車場で偶然、幼児教室での仕事でご一緒した若い保健師さんとお会いすることができ、山田町の各避難所についての状況を伺いました。被災した地域の皆さんは最寄りの避難所で生活していると思い込んでいましたが、多くの人は内陸の温泉旅館や公共の施設へ移動していることや、同じ地域の住民でも別れ別れになっていて役場でも把握しきれていないことなどが分かりました。
役場の敷地内は物資の配給を待つ人々でごった返しておりました。歩いている時に、若い女性から
「音楽の人でしょう?久しぶりだね」
と声をかけられました。十数年前に、たった一度だけ仕事で訪れた作業所の利用者さんでした。配給は午後3時半から、日によって色々なものがもらえる。けれど、最近はとみに品数が減ってきて困る、と訴えていました。我々には
「日を追うごとに補給物資が行きわたり、人々の生活は徐々に上向きになっている」
という勝手な思い込みがあっただけに、この窮状は大変ショッキングなものとしてうつりました。同じ山田町内でも、場所によって避難民の生活状況には大きな格差が生まれているようです。
山田町 14:00-15:00 はまなす学園
震災以来、長く停電状態にあった建物は数日前に電源が復旧して、室内は見違えるほど明るくなっていました。前回と同じ部屋へ向かうと、入所者の皆さんから
「こんにちは」
「今日は何するの」
と声をかけられました。一番奥の席に座る女性に、前回は私たちと一緒にどんなことをしたかおぼえている?と聞いたところ、歌った曲名や活動内容をしっかりと記憶していました。
活動開始時に、部屋にいる全員に向けて
「皆さんと一緒にこうやって音楽活動をするために、毎週この時間に訪問する予定です。参考にしたいので、皆さんの好きな曲を教えて下さい」
と呼びかけると、しばらくしてから数名が挙手をし、それぞれの好きな楽曲を叫びました。その多くはアニメの主題歌と最近の歌謡曲および演歌で、題名を挙げられるたびに次々歌い弾きをしました。こちらの知らない(憶えていない)曲については、午前中と同様に鼻歌でメロディを教えてもらい、伴奏をつけて再現しました。知っている曲が流れると、歌詞を用意していなくとも大きな声で歌う人が大勢いました。
活動中、我々から少し離れた場所に直座りしていた30代の男性が、何度かこちらにものを言いたげな表情を浮かべてるのに気付きました。問いただしたところ
「早く家に戻りたい」
と何度も繰り返しつぶやいていました。入所施設の多くは普段から家族と離れて暮らしている寂しさを抱えているものです、それが今回の津波で施設が全壊してしまい、見知らぬ場所で不便な生活を強いられている彼らの心境は察するに余りあります。この男性は、他の方がリクエストした演歌を聞いて号泣し、傍にいた施設職員が理由を聞いたところ
「祖母を思い出して悲しくなった」
と訴えていました。その後、施設職員のお陰で笑顔が戻っていました。
山田町 19:00-20:00 豊間根生活改善センター
前々回、前回とはまた別の会場を指定されました。この日やっと、担当の山田町保健師さんとお会いすることが出来て、これまでの報告をしながら山田町の事情などの話を聞くことができました。毎回同じ避難所を指定している宮古市と違い、
「せっかく遠くからいらしてもらうのだから、毎週同じ避難所に来てもらうのはもったいない。毎回別の場所を巡回してもらう方針でお願いしたい」
という趣旨だと、この時初めて知りました。
この日の会場は、山田町保健センターが主催する介護予防教室の講師として何度か訪問した公民館でした。入口では近隣にある精神科で作業療法をしているという方から「音楽療法があると聞いて何か手伝えることがあればと思って来てみた」とのお申し出をいただき、会場の皆さんと一緒に声を出して歌って下さい、とお願いをしました。その他に地元の図書館館長という方、遠く和歌山県からボランティアでいらした方などにも活動の最中に同席していただきました。皆さん、音楽療法とはどういうことをするのか?と興味津々の様子でした。
今回もまた、音楽療法の経験がある住民の皆さんが全体の雰囲気を牽引してくださいました。会場の外にいる方に対して「面白いから、一緒においで」と声かけをしてくださったり、活動中にこちらの問いかけに対して大声で応答してくださったり、とても助けられました。同じ1時間という枠の中で、他の避難所より一人ひとりとじっくり時間をかけたやりとりができたことが何より印象的でした。
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