9月 24

宮古市 「荷竹」「浄土ヶ浜」 2011/10/22

この日は、私が音楽療法士として働き始めた24歳から、今までずっと敬愛している精神科の松井紀和先生がわざわざ山梨県から足を運んでくださり、仮設住宅巡回に同行してくださいました。神様のように思っている先生に自分のセッションを見ていただくのはとてつもない緊張感がありましたが、多くの助言や激励のお言葉をいただくことができました。
夢のような一日でした。
午前 10:30-11:30 荷竹
津軽石からちょっと奥に入ります‥と事前に説明されていたものの、途中で道に迷ってしまい、携帯で社協さんに道案内していただきながらやっとこさ仮設団地を発見。
到着すると、談話室には「カリタスジャパン」という団体のボランティアさんが数名いらっしゃいました。
日本赤十字に次ぐ規模の、大きな団体から派遣されていらした、とのことでした。
彼らは住民の皆さんを招いてお茶会を開催したり、古着の展示をなさっていました。
(キリスト教系の団体とのこと)
音楽療法には4名の方がご参加下さいました。
8曲を歌い、リズムに合わせた上肢の運動を行いました。
最後、カリタスの方からもリクエストをいただき、とても良い雰囲気でした。
Sh3i0210
松井先生の前で演奏するという恐ろしい光景。顔には緊張の色が浮かんでおります‥。
午後 13:30-14:30 浄土ヶ浜
5名の方がご参加くださいました。
私の活動では「歌の歌詞を上の句だけセラピストが言って、参加者が下の句を言う記憶力トレーニング」を行いますが、この日は浦島太郎で
「助けた亀に」→「乗せられて」
「乙姫様の」→「手料理を」
など、楽しい回答が寄せられて面白かったです。正解が必ずしも良いということではないですね。参加者の笑いを引き出せるのであれば、楽しい間違えはとても良いことです。
Sh3i0226
ここでも最後に参加者からリクエストが寄せられましたが、奇遇なことに午前の荷竹と同じ曲でした。
こういうこと、あるんですねえ。松井マジックかしら?
この後はいつも通り、高齢者デイサービスに移動してセッション。
何と松井先生が担当してくださいました。贅沢!
さすがの神業で、皆さんすごい集中力。そして笑顔。
勉強になりました。

9月 20

宮古市「白浜」「児童相談所」 2011/10/8

「智田さんが巡回している仮設住宅に同行したい」
と申し出てくれた仲間が二人、平田紀子さんと雑誌編集の芹澤一美さん。
お二人を連れて、仮設巡回二回目に出かけました。
午前 10:30-11:30 白浜
三陸海岸にある大きな半島の一つ、重茂半島を北回りで進むと白浜地区という漁村にたどりつきます。
途中の海岸線は、道路が地震の影響で地盤沈下していて、ガードレールの破壊されたカーブを、海水に気をつけながら運転しました。
白浜の仮設団地に到着して、社協から聞いていた代表者の男性(Nさん)にお会いしました。車が着くのをずっと待っていて下さってました。
Nさんはさっそく、団地内の皆さんだけではなく近隣の住民の方にも声をかけてくださって、総勢21名の皆さんが集まりました。
平田さんは、元々私が20代の頃から憧れていた、高齢者セッションのエキスパート。そして亡くなっただんな様が生粋の浅草芸人というエンターテナー。
一緒にセッションが出来る幸せをかみしめながら、交互にピアノとメインを務めながら、皆さんと一緒に体操や唄を時間いっぱい楽しみました。
この時の様子は「the Music Therapy」音楽之友社の最終号に掲載されました。
Sh3i0177
午後 13:30-14:30 児童相談所
結論から言うと、どなたもいらっしゃいませんでした。
前の週に続いて、午後が暇なパターン。
うーむ。
大学生のボランティア男性が二人いたので、彼らとお話をしながら時間まで過ごしました。
それにしても、音楽療法というイベント(くくりとしてはイベントらしいです)には人が集まらないものなのか。
「今日は近くの病院で音楽会が開催されていたらしいから」
「あと小学校の運動会もあったらしい」
など、悪かったこと探し(逆ポリアンナ)をしてしまう始末。いかんな。
Sh3i0189
せっかく、こんな素敵な告知してもらっているのにねえ。
この後の高齢者デイサービスはその分はりきって頑張ってみました。
いつか書きますが、こうやって自分の行っている活動を他の音楽療法士や専門家に見ていただく、ということが非常に重要な意味を持ち、支援活動を継続していく上で励みになるものなのです。

9月 14

宮古市「清寿荘」「愛宕小学校」2011/10/1

去年2011年8月には宮古市も山田町も、ほぼ全ての避難所が解散となり、避難していた人々は完成した仮設住宅や、内陸のみなし仮設、その他の場所へと引っ越していきました。
私は丸四カ月もの間、ずっと毎週盛岡から被災地の宮古市・山田町に通っていましたが、避難所が無くなったからもう支援は終わり、とは思えませんでした。出来れば、仮設住宅に移り住んだ人々のもとへも、音楽を届けたいと思っていました。
しかし、宮古市では最初のとっかかりが遠方から来ていた保健師さんだったので、その方がいなくなったらもう誰を通せばいいのか不明でした。宮古保健センターの保健師さんで知っている人がいたので、その方にも「音楽療法での支援をしたいので、仲介してほしい」と頼みましたが、地元保健センターの皆さんはもうてんてこまいの状態で、とても私などに構っている余裕はなく、断られました。
山田町も同様でした。それまであちこちの避難所をまわるように指示をくれていた保健師さんからは
「今までありがとうございました」
とメールが来て、これからもうかがいたいのですと言っても反応はありませんでした。
これでもう、私の被災地巡回は終わらざるを得ないのか‥と諦めムードだったのですが、たまたま他の仕事で宮古市を通過する際
「諦めは愚か者の結論」
というパタリロに出てきた台詞を思い出し(私の持つ様々な知識の源は昔の漫画からです)、大勢のボランティアでにぎわう小山田の社会福祉協議会にお邪魔。アポ無しにも関わらず、偶然見かけたW課長さんに声をかけました。
(Wさんはずっと昔から、宮古で児童の音楽療法をする際に顔を出してくださっていました)
交渉の重要なポイントがありました。
私が宮古市に来る時は全て自費でまかなうボランティアなのですが、病院の常勤である私には土曜出勤が月に2回課せられていました。毎週土曜日被災地に来るとなると、年次休暇を使わなければいけません。加えて、勤務先に対して私のボランティア活動をオフィシャルに扱ってもらうと非常に助かるのです。
「ボランティアなのでお金はいらないのですが、できれば社会福祉協議会から私の職場宛に派遣依頼文書を出していただきたいのです」
この無謀なお願いをした時、やはりW課長さんは困惑なさっていました。
「一度、こちらでそれが可能かどうか確認してからお返事しますね」
駄目モトで頼んだことでしたので、私はそれから数日「駄目なら駄目で、またツテを探そう」と思っていましたが、何とOKが出ました。押しかけボランティアに派遣依頼文書というのは稀、というか他に例の無いことだったと思います。
今でも御尽力くださったW課長、宮古市社会福祉協議会に対しては頭があがりません。
午前10:30-11:30 清寿荘
さて、晴れてこの年の10月初日から仮設住宅を回ることになりました。
記念すべき一回目は、津軽石からさらに奥へと入って行った払川にある老人施設敷地内の仮設。
「他のボランティアやイベントの入りにくい場所を主にお願いします」
ということで、ここが選ばれたようです。
途中、山田線の線路を越えるポイントがあったのですが、踏切にはロープが張られていて、鉄もすっかり赤くさびていました。
大人の方は5名参加してくださいました。
Sh3i0144
談話室の外と中には、多くの小学生たちがいたので、彼らにもまざってもらいました。
100円ショップで買ったじゃんけんバーのセットがあったので、大人VS子供でじゃんけん大会をして遊びました。
Sh3i0134
画像、私の足元に風船セットが転がっていますが、子供がいるときはアートバルーンで犬だのねずみを作ってます。でも子供は自分でふくらませて自分でねじりたいんですよね。この日もかなりの数が破裂しました。
6曲を歌い、じゃんけん大会をし、手遊びや体操もして「さあ、そろそろ終わりの時間」と思ったら、子供たちが
「あたしたち、ばあちゃんたちに小学校の校歌歌ってあげたい」
と言いだしました。参加してくださった大人たちも、彼らと同じ小学校の卒業なのだそうです。
子供の殆どは小学校1年生で入学して間もないのに、3番までよどみなく歌っていました。
この日で一番、大人たちの心に響いた歌声だったと思います。
午後13:30-14:30 愛宕小学校
Sh3i0156
昼休憩をはさんで訪問しましたが、誰も談話室を訪れませんでした。
(産業まつりというイベントがあったのも要因だと聞きました)
私とアシスタント二人で、伴奏の時の和声法についての雑談をして時間を過ごしました。
Sh3i0154
まあ、私も相当能天気でお気楽な性格なので「誰も来なければ来なくて別にいいや」と思って気に病みません。
(半分強がり)
この後、14:45からはW課長と社会福祉協議会への恩返しということで、小山田の老人デイサービスセンターでの音楽療法を行いました。
これは現在も続いてます。元気な皆さんを相手に、こちらが元気をいただいてます。
(最近の話ですが、一度おひねりをいただきました‥丁重にお返ししましたけど)