11月 20

避難所巡回時代十二回目 2011/7/9

過去の記録から転載します。
7月9日(土曜日)、東日本大震災および津波の被災地である岩手県宮古市と山田町を訪問し、避難所で生活する方たちへ音楽療法を実施してきました。研修生一人が同行しました。
宮古市 10:30-11:30 宮古市小学校
体育館の受付にいた自治労の方に聞くと、派遣されて駐在するのは今日で最後だということでした。子供たちの姿はありましたが、やはり多くの大人たちは不在でした。
歌には参加しませんが、いつもいて声をかけてくれるTさんという方が、寝ていたAさんに「ほら、友達が来たよ」と言っておこしてくださいました。Aさんは「ああ、待ってましたよ。これが楽しみでね」と言って用意した座席まで歩いてきました。起きぬけだったので、歩行がより不安定でしたが、着席をして元気に活動を始めました。
ノートPCで「ひまわり」「夜空のトランペット」を聞いたあと、これは展覧会の絵に似ているね、などの感想が出ました。他に数曲ほどリクエストをした後、ダジャレを言ったり亡き親友の想い出を語ったり、いつにまして雄弁でした。
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先週、指輪をなくしたと言っていたFさんは今日は机でずっと書類を書いていて不参加でした。Dさん夫妻は不在でしたので、研修生の書いた記事コピー(音楽之友社「Theミュージックセラピー」)を居場所においてきました。帰り際、校門付近でCさんにお会いしたので、研修生から歌詞をお渡ししました。
 
山田町 14:00-15:00 はまなす学園
入口付近で車をゆっくり走行しているときに、いつも無愛想な顔をしている女性とたまたま出会い窓をあけて話しかけたら近寄ってきて立ち話を始めてしまい、研修生に言って連れていってもらいました。
中ではまだおやつを配布していなかったので、開始時間が少々遅れて開始になりました。毎回、明朗に歌をリクエストしてくる女性が二人とも私の横に並んでいたので、非常に賑やかでしたが、キーボードにこだわりのある男性が何度もしつこくやってきて、どこかへ持っていこうと手を伸ばすので気をぬけませんでした。
いつもの活動場所は室温が高く、汗をかいている人も多かったのですが、歌の場面になると大きな声を出して元気に歌っていました。窓からは海辺から吹く生臭い風が入ってきて、大きな蝿が飛び回っている環境の悪さでした。
リクエストは、今まであまり出さなかった男性から多くの曲がよせられました。また、ピンクレディの曲では大勢の女性が立ちあがって踊りを踊りました。
いつもは全く目立たない男性が、この日は何曲もリクエストをして、満足そうな顔をしていたのが印象的でした。
山田町 19:00-20:00 豊間根中学校
3回目の訪問ですっかり顔なじみの方が増えて、施設に入るとあちこちから挨拶をされたり、今日は何をするのかと話しかけられました。テーブルといすを自治労のスタッフが用意してくれていて、あとは自分たちで参加者の椅子を用意しようとしたら、それも自治労や参加者が手伝ってくれました。
これほど親密に接してくれる方がいる場所ですが、それでもやはりこちらには一瞥もくれずに黙々と自分の居住スペースで新聞や本を読む男性が数名いて、彼らに対して研修生が音を出すことに関しての許諾をとりに声かけをしました。これらの方々は、これまでも全然参加をせずにいた方々でした。
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もしかしたら今夜が最後の訪問なのかな、この人たちはもう最後までご参加いただけないのかな‥とちょっとブルーになりつつ表面上は笑顔を絶やさずにいつも通り明るく楽しいセッションを心がけました。研修生も頑張りました。
「あの」
終わったあと、参加して下さった方のお一人が声をかけてきました。
「はい?」
「良かったら握手を」
差し出された右手に、うっかり左手を出す私。
(ぎっちょなので)
つーか、嬉しい!ありがとうございます!!
「写真いっしょにとってください」
「今までありがとうございました」
「楽しかったです」
次々と皆さんが我々のところに来て、声をかけてくれました。
ああ、報われました。泣きそうでした。
毎週、色々なことがあったけど、山田町の皆さんと一緒に歌が歌えて良かったです。
この後、皆さんがどう過ごしているのかは知る術がありませんが、きっと幸せでいてくれると信じています。避難所時代の日々で我々が訪問したことなど忘れていても、新しい一歩を踏み出して下さっていれば、とてもうれしいです。

11月 07

避難所巡回時代の光景 2

昨年2011年の6月、山田町長崎にある「なかよし公園」に国連WFP協会が大きなテントを設営しました。目的は、震災津波(そして大規模火災)で店舗を失った商店主が、仮設店舗で営業再開できるように、というものでした。
私はこの頃、午前に宮古小学校、午後2時から山田町のはまなす学園、夜7時から山田町の避難所(週替わり)というスケジュールで動いていたので、はまなす学園終了後の数時間をどこで過ごせば良いかいつも悩んでおりました。
ある日、この「なかよし公園」商店街が開設されたと聞いて、空き時間にちょっと立ち寄ってみようかな‥と思い立ち足を運んでみたところ‥
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なかよし公園商店街の入り口
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表では学校帰りの子供たちが大勢遊んでいました。
数名の小学生たちが、興味深そうに
「おじさんたち、どこから来たの」
「何しに来たの」
と興味深そうに寄って来たので、車に用意していたアートバルーンを使って犬やねずみを作って渡しました。最初はみんな嬉しそうに受け取っていたのですが、大きな男子たちが数名来て
「おりゃー」
と足で動物のバルーンを踏みつぶす遊びを始めたのです。それを見ていた他の子も、真似して踏みつぶし、彼らが去った後はバルーンの残骸がほうぼうに飛び散っていました。なんだかずっとこの出来事が忘れられません。
とはいえ、ちょっと仲良くなった少年少女と、ほのぼのした交流も生まれたんですけどね。
彼らは今、どうしているのでしょう。
商店街の中にはケーキ屋さん、写真屋さん、自転車屋さん、生鮮食品屋さん、布団屋さん、衣料品店、保険代理店、そして本屋さんがありました。私は毎回、この本屋さんでオレンジページやすてきにハンドメイドなどの雑誌を買っていました。ケーキも美味しかったですよ。
この商店街、先日行った時にはもう撤去されていました。
中に入っていた店舗は、いくつか国道からすぐの場所にあるプレハブ商店街へ引っ越しをして、営業を続けていると聞きました。
空き時間を潰そうと、風呂に入りにいったこともありました。
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山田町豊間根にある嶋田鉱泉は、ボランティアや自衛隊の人たちで大賑わいでしたが、私にはお湯の温度が高すぎて‥ギブアップでした。
豊間根は宮古市と山田町の境界線にある場所で
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このコンビニと
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この食堂が憩いの場でした。
たまに遠出したくなると、さらに南下して大槌町まで足をのばしました。
(この頃まだ我々は大槌町と御縁はありませんでしたが)
津波で街並みが失われたこの町の小高い丘にのぼり、蒼くきらめく美しい海を何度も眺めました。
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同じ風景をこの仏像も長い間ずっと見ていました。
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そして犬。
わんわん。
(吠えませんでしたけどね)

10月 30

避難所巡回時代の光景

ついこないだのように思いますが、避難所となった場所をまわって音楽療法を行っていたのは昨年4月~8月なので、もう一年以上経過しているんですね。
当時の記録や画像を紐解くと、まるで昨日のことのように鮮明に思い出されます。今から思い起こせば、体力的にも精神的にもキツいことばかりだったように思いますが、その頃は「こんなの、被災された人の苦労や悲しみに比べたら全然へっちゃらぴー」と思ってました。でも、本当にその通りだったと思います。
今日は、当時撮影した画像の中から、想い出深いものをいくつかご紹介いたします。
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これはとある避難所に貼ってあったものです。
ここでは三食、弁当業者が配達していました。
「贅沢言っちゃいけないけど‥毎回揚げ物ばかりでちょっと大変なのよね」
と言ってた方がいました。
自分がその立場だったらちゃぶ台ひっくり返していたかもしれません。
(わがまま)
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まさに火事場泥棒。
避難所に、よからぬ輩が出入りしていた時期がありました。ものを売りつけようとする人、あやしい宗教の勧誘など、罰当たりな人間がいるもんだなーと憤慨しました。
私も見た目がちょっとアレなので、最初あちこちで怪しまれました。うしし。
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いくつかの避難所には、このように心理の専門家が部屋を構えて、被災者のケアをしようと活動されておりました。
案内の紙には子供たちのいたずら書きが‥面白いですね。
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これも子供のらくがきですね。
食べ過ぎないように、というのがとてもかわいい☆
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「ごっくん体操」と書いてあります。
慣れない環境で、高齢者は生活不活発病による嚥下障害の危険性が増加します。飲みこむ力が低下すると、雑菌のついた食物を食道や肺に運び、誤嚥性肺炎を引き起こすので致命的です。
保健師さんたちは一生懸命、飲みこむ力を取り戻そうと働きかけをしていたのが、この貼り紙でわかります。
音楽療法の「歌う活動」も、実は誤嚥を防ぐ効果があるんですよ。私も活動中に表情筋や喉の体操をしています。

10月 29

避難所時代十一回目 2011/7/2

過去の記録から転載します。
7月2日(土曜日)、東日本大震災および津波の被災地である岩手県宮古市と山田町を訪問し、避難所で生活する方たちへ音楽療法を実施してきました。研修生二人と、元岐阜県音楽療法研究所所長の門間陽子先生と政治学者のなかむら光子先生も同行してくださいました。
 
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
この日は最も人が少なく、活動に参加したのはAさんただ一人でした。私、研修生二人、そして門間、なかむら両氏に囲まれて最初は少々居心地が悪そうでしたが、持ち込んだノートPCで新たにダウンロードした映画音楽の動画を観はじめると、色々な話題を口にするようになりました。
 「夜空のトランペット」「ひまわり」の動画を観終わったあとに、夏目雅子がこの曲を好きだったというエピソードから始まり、Aさんの亡くなった母親が病床で女性としてのみだしなみを整えていたこと、ギリシャ神話「パンドラの函」で希望がテーマであること、「ある愛の詩」「明日に向かって撃て」を観たあとは、ご自身が通っているキリスト教系の新興宗教で宣教師が言っていた「究極の愛は相手のために自分の命を賭けること」を印象深くおぼえていること、学生時代に授業をさぼって映画を観に行ったことなどを話しました。
洋楽の話題が多く、新興宗教の発祥がアメリカであったことから、門間先生が「アメリカの歌で好きな曲は何ですか」と質問し、「アメイジング・グレイス」とAさんが答えたので、ハミングで歌いました。Aさんは「自分は歌わない」と照れていたのですが、周りが歌い始めると自然と声が出ていました。その他、アメリカと中国の世界情勢について話をしながら「トッカータとフーガ二短調」「白い恋人たち」「悲しき雨音」「北上夜曲」「いい日旅立ち」「シバの女王」「ロシアより愛をこめて」「太陽がいっぱい」などのリクエストが出て、演奏しました。
先週もそうでしたが、一度Aさんが話し始めると、熱が入って多弁になり、切り上げるタイミングを図るのが困難になります。今回も11時15分の終了時間を超過しても話が終わらず、場を離れるのが遅くなりました。
 
山田町 14:00-15:00 はまなす学園
現地への到着が早かったので、しばらく入所者の皆さんがおやつを食べる様子をみながら準備をしました。今日のおやつは、内陸の施設から応援に来た職員が持ち込んだケーキだったので、皆さんとても喜んでいる様子でした。
食べ終わった人から何曲かリクエストをもらい、小さな音量で弾いていたところ、開始前にも関わらず多くの人が一緒に声を張り上げて歌い始めました。ここ数回行っている上肢運動を中心に準備体操を行い、難易度を調整することで参加者の集中力を高めるよう狙いました。
はまなす学園を出たあと、次の避難所まで時間があったので大槌町まで足をのばしました。
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避難所に犬がいたので、ガン飛ばしているわたくし。
山田町 19:00-20:00 豊間根中学校格技館
門間先生は、私がチビッコの時(といっても24歳でしたが)一番最初にお目にかかった、ホンモノの音楽療法士でした。臨床現場に入って一年目だったので、何をするにも門間先生の真似っこばかりしていました。
その先生が、私の一挙手一投足を間近でご覧になっている‥とゆー状況で被災地セッションをするのは松井先生以来の大緊張でしたが、自分のなすべきことを成し遂げようと奮闘しました。
あ、この日のお昼ご飯と夕ご飯は門間先生となかむら先生にご馳走していただきました!ありがとうございました!
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10月 25

避難所巡回時代 十回目 2011/6/26

過去の記録から転載します。
6月26日(土曜日)、東日本大震災および津波の被災地である岩手県宮古市と山田町を訪問し、避難所で生活する方たちへ音楽療法を実施してきました。研修生の二人も同行しました。
 
宮古市 10:30-11:30 宮古小学校
中に入ると誰もいなかったので、数週間前から避難所の代表(班長?)になった方と長くお話をしました。仮設住宅の建設が進んでいて、そちらへ引っ越す方も増えてきたとのことでした。数名残っていた小学生たちと風船遊びをしていると代表の方が寝ていたAさんを起こして、活動が始まりました。
Aさんには研修生が同伴し、先週と同様にPCで「ロシアより愛をこめて」「純愛日記」「太陽がいっぱい」を観ていました。
しばらくしてCさん(都はるみ好きな男性)がいらしたので、もう一人の研修生が対応して一緒に都はるみの曲を歌いました。研修生は宮古小学校でいつも音楽療法に参加している数名の嗜好を把握して、それぞれに別個の歌集を用意していたのですが、Cさんには都はるみを中心とした選曲をしていました。
口が達者で、時々きつい冗談をなげかけるのですが、Aさんが曲をほめると非常に嬉しそうな表情を浮かべていました。
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終了時間間際にDさん夫妻が外出から戻り、前回の御礼を言われました。右手のリハビリにギターを毎日弾いているが、元通りになるのは無理かもしれないと言っていたので、いつか一緒に音楽活動をしましょうとお誘いしました。
山田町 14:00-15:00 はまなす学園
今回は自作のケーキをおやつ時間に持参しました。相変わらず使い捨ての紙皿を使っていて、窓からは大きな蝿が出入りしている状況で、それほど環境は改善されているようには見えませんでした。しかし、数日前に施設長から電話でうかがったところによると、来月半ばには山向こうの集落にある中学校の校庭に、施設のかわりとなる仮設の建物を建設中で、引っ越しの日取りも決まっているとのことです。重度と中軽度が別々の棟になり、支援は今より更に困難になる見通しだとはいえ、環境を一新できる日が近いのは喜ばしいことだと言っていました。
活動はリズム運動から開始して、前回作成した歌集を配布しての歌唱を行いました。隣に座っていた女性二人が、熱心に歌集をめくっていたのですが、ホッチキスでとめていなかったのでどんどんバラバラにして、途中で歌う曲が探せないほど散逸してしまっていました。
前回もやってきた重度の男性が、やはり今回もキーボードを気にして、近寄って持って行こうとしていましたが、研修生が間に入って制止しました。打楽器配布の際は興味をそれほど示していませんでした。
入所者の一人を指名して歌集から一曲リクエストを募り、歌い終わったらリクエストをした方に次の方を指名してもらう方法で進行しましたが、一人の女性が歌集からではなく私物の歌本から選び始めました。歌集には24曲しか入っていないので、徐々に曲数を増やしていく必要を感じました。
山田町 19:00-20:00 大沢小学校
正面玄関から入って係の方に挨拶をしたところ、体育館での開催になるので移動しました。
約束の開始時間よりかなり早い到着だったのですが、体育館にござを敷きはじめたあたりから人が集まり始めて、中には10名近い子供たちも含まれていました。事前に担当保健師から連絡があったリクエストに、多くの若者向けの楽曲が含まれていたので、今回の歌集は通常の大人用の他にもうひとつ若年性に向けた歌集を用意しておきました。
研修生とじゃんけんして買ったらバルーンをもらえるゲームを行いましたが、なかなか皆恥ずかしがって前に出てきませんでした。年長の児童のほうがより引っ込み思案な傾向が見えましたが、時間がたつにつれて(AKB48の曲を歌ったあたりから)緊張もほぐれて、一番後ろの列で踊ったりはしゃぐ姿が見られました。
バルーンをもらった男児が、遊んでいるうちに破裂させてしまい、傷ついた表情で自室へ戻っていったのを受けて、周囲の大人に「これをあとで届けてあげてください」とあらたなバルーンを作成。
大人の参加者は男性が一人で、他全員が女性でしたが、とても反応が良く、大きな声で歌い大きな声で笑って、発散になったと喜ぶ方もたくさんいて盛り上がった一時間でした。
活動が終了した後に、せっかく歌詞があるのに歌えなかったと嘆く児童が数名いたので、持ち込んだノートPCで遊助「ミツバチ」を共に観賞しました。
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