11月 30

前口上とか歌の中のセリフ

仮設住宅や介護予防教室、高齢者施設などで懐メロを参加者と一緒に歌うと、時々イントロや間奏で私は「前口上」や「セリフ」を言うことがあります。
前口上というのは、リサイタルなどで浜村淳(古)といった司会者が歌手と曲名を紹介する際に、即興で(即興じゃない場合もありますが)歌い出しギリギリまでに内容をドラマチックにかいつまんでしゃべるアレです。アレっていっても若い方には通じないかもしれませんが。
「山の憂いもあろうけど 海には海の悲しみよ
高嶺の百合より 何よりも くれない色のその姿
あざみのような私の涙 それでは歌っていただきましょう
昭和の名曲 あざみの唄です!」
まあ、これもざっくりと今テキトーに書いておりますが、こんな感じで私はイントロ弾きながら時々浜村淳口調でしゃべっております。
あとはセリフ。
有名ドコロでは
「花街の母」‥いくらなじんだ水でも
「からたち日記」‥幸せになろうねって
「悲しい酒」‥ああ、別れたあとの
などなど、たくさんあります。
セリフといえば。
「お富さん」や「金色夜叉」「湯島の白梅」などの文学や演劇がもとになった楽曲でも、セリフをさしはさむことがあります。
ここではお富さんの名台詞をのせてみましょう。
え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ」「そういうお前は」
「与三郎だ」「えぇっ」「おぬしぁ、おれを見忘れたか」「えええ」
「しがねぇ恋の情けが仇(あだ) 
命の綱の切れたのを
どう取り留めてか 木更津から 
めぐる月日も三年(みとせ)越し
江戸の親にやぁ勘当うけ 
よんどころなく鎌倉の
谷七郷(やつしちごう)は喰い詰めても面(つら)に受けたる看板の 
疵がもっけの幸いに 
切られ与三と異名をとり
押借(おしが)り強請やぁ習おうより
慣れた時代(じでえ)の源氏店
そのしらばけか黒塀(くろべえ)の 
格子造りの囲いもの
死んだと思ったお富たぁ 
お釈迦さまでも気がつくめぇ
よくまぁ おぬしぁ 達者でいたなぁ
安やいこれじゃぁ一分(いちぶ)じゃぁ 帰(けぇ)られめぇじゃねぇか

9月 26

またたび&マドロス

たびたび当ブログでも画像でご紹介している通り、大津町の皆さんは踊ります。頼まれなくても踊ります。
「どうしてこんなに、皆さん踊ることへの抵抗が少ないのかなあ」
と思っていたのですが、お話をうかがっているうちに、大槌町(だけではないと思いますが)には昔、演芸会という文化があって、そこで同じ集落のみんなが集まって歌や踊りや芸を披露しあっていたと知りました。どこそこの集落のなになにさんは、とても歌が上手!とか踊りを踊らせたら日本一!みたいな話を、音楽療法の際に良く耳にします。
まっさきに頭に浮かんだのが、安渡第二でいつもマドロス帽を持参してどんな曲でも起用に踊るあの方、オドリヤさんです。オドリヤさんは昭和一桁生まれの女性ですが、他の集落に行ってもその名前が知れ渡っています。すごい!
演芸会で人気の演目は
「マドロスもの」

「またたびもの」
だったようです。
またたび、というのは渡世人のことで、ヤクザ(今のとはちょっとニュアンス違いますね)が義理と人情でどーのこーの、という世界です。ってひどい説明‥。
私の音楽療法ではどこへ行ってもこれさえ歌えば皆さん大喜び!というテッパンの楽曲がありますが、これもまたたびですね。
勘太郎月夜歌
です。
マドロスものにも名曲たくさんありますが、オドリヤさんはマドロス帽さえあれば、何でも合わせられるので童謡唱歌でもいきなり港の雰囲気になります。ガラスの仮面のマヤみたい!

8月 02

被災地における音楽療法について 2

災害発生の直後、被災地となった三陸沿岸には国内外から多くの支援が寄せられ、救難活動が開始されました。そこに音楽家の慰問もあったのですが、私がメディアを通じて目撃した光景は被災者の心の慰めになっているようには見えませんでした。というのも、避難所という逃げ場のない空間でぐったりと横たわる彼らに対して、至近距離でのバイオリン演奏をしていたからです。曲は「ふるさと」でした。
これ以降、私にとって「ふるさと」という楽曲は疲れきった被災者を音の膂力で侵襲した曲という良からぬイメージがついてしまい、避難所巡回の最中はなるべく触れないようにと意識が働いてしまった記憶があります。
テレビには演奏者に向かって両手を合わせ無言で感謝する高齢の女性が映しだされていたのが、また私の疑念を大きくしたのでした。もし自分が被災地に行って音楽療法で人々に音楽を届ける際、感謝ではなく安らぎを感じてもらうにはどうしたら良いのか。
実際に私が被災地を訪れ、避難所を巡回できるようになったのは4月16日、震災発生から1ヶ月が経過してからでした。それまで私は主に2つの文献を読み、きたるべき日に備えておきました。
1.サイコロジカル・ファーストエイド
アメリカ同時多発テロの際、複数の支援チームが独自の支援活動を行い、結果的に被災地を混乱させてしまった反省から作成されました。被災者に負担を与えないことを第一義とする非侵襲的支援法で、支援を押しつけず弱さや恐怖心だけでなく強さや適応的な行動にも焦点をあてることが必要な態度とされています。
(1)するべきこと
  「状況、状態の評価」「安全と安心の確保」「共感をもって傾聴」「専門用語は使わず、分かりやすい質問」「当面の問題について話し合い、対処ができるようにする」「被災者のもつ力を忘れない」
(2)してはいけないこと
  「トラウマ体験について勝手に決め付ける」「心理的反応を「症状」や「診断」としてのみとらえる」「被災者に支援を押しつける」
2.兵庫教育大学・冨永良喜教授(臨床心理学)による災害後の心理援助三原則
1)ケアは継続できる人が行うこと
継続してケアできない心理援助者(グループ)は、被災者へ直接接触してはいけません。接触するときは、現地の援助者(心理士・教師など)と一緒にすること。
2)感情表現は害になることも                           恐怖の感情表現を促すこと(地震の絵や作文を描かせる等)は安全感のない空間(継続してケアできない人、災害直後)では被災者に二次被害を与えます(Debriefing の有効性は実証されていませんし二次被害を与えると強く警告している論文もあります)。
3)アフターフォローのないアンケートは禁止
トラウマのアンケート(IES-R やPTSR-edなど)をアンケートのみ実施することは、被災者に二次被害を与えます。必ず、継続して関与できる人が、トラウマと喪失の心理教育を同時に実施してください。
※このサイトを参考に転載いたしました
そして自分なりに、被災地にいる最中の言動・心がけについてもいくつか決まり事を作りました。
1)音楽を拒否する人が一人でもいれば中止する
2)活動時間を超過して長居しない
3)支援物資を受け取らない
4)被災者の目前で記録をとる・被災風景を撮影することはしない
5)ネームホルダーなどで身分を証明する(不審者が多かったため)

7月 29

シンクロニシティ

夢探偵パプリカに
「ユングなの?古いわね」
と言われそうですが。
一昨日の宮古市でもそうだったんですけど、仮設巡回をしていると時々起こる偶然の出来事があります。
それは
「午前中の仮設でリクエストされた懐メロは、かなりの確率で午後の仮設でもリクエストされる」
という現象です。
私が参加者に配布している
「歌と体操のサロン 歌リスト」
にはだいたい300曲が掲載されています。
明治・大正の童謡唱歌から平成のJ-POPまで網羅してます。
(民謡もあります)
まあ、例えば雨の日だったら
「雨降りお月」
とか
「雨の慕情」
歌いましょう、みたいな流れになるのは想像に難くないと思います。
今の時期だと
「夏は来ぬ」
「夏の思い出」
あたりでしょうか。
音楽療法士だと現実見当識がどーのこーので季節感のある曲を‥と教えられてきたと思いますが、仮設ではあまり季節感とか天気とか関係なく、その日その人が歌いたい歌ってのがあるようです。
その日、その人が歌いたい歌。
午前の仮設と午後の仮設で、住民の皆さんが
「あたしたち☓☓って歌を歌ったらとても楽しかった、良かったらあなたたちもリクエストしなさいよ」
と言って連絡を取り合っているわけでも無いのに。
重なるんですね。
ちなみに一昨日の土曜日では
「木曽路の女」
が重なりました。
一緒に動いているなすちゃんも
「これ、結構な確率で起こるよね」
と不思議がっています。
個人的にはとても面白い現象です。

7月 27

被災地における音楽療法について 1

ここ数日、岩手県を含む東北地方は長雨が続き、川の氾濫や土砂災害などがあちこちでおこっているようです。我々も今日これから峠を通って沿岸へ向かうので、十分気をつけながら移動したいと思いますが、いつなんどき災害が我が身に降り掛かってくるかわかりません。いつも身構えつつ暮らしていくのは大変ですが、いざという時にどうすれば良いのかという知識と、自分なりの対策を普段から講じているに越したことはありませんね。
東日本大震災の発生後、私が最初に被災地となった三陸沿岸を訪れて被災した皆さんを対象に音楽療法を行なったのは2011年4月16日のことでした。詳しくは過去のブログ記事をご覧いただければと思いますが、震災から一ヶ月というまだ間もないこの時期、被災した皆さんの心はどんな状態だったのでしょうか。
被災した直後に見られる反応は、これら3つに分類されるそうです。
1.適応的反応、そして回復へ
2.非常事態に遭遇した際の正常な反応、一過性のストレス反応(うつ、不安状態)
ここで言う「うつ」は、悲しみに遭遇した人にとっての「悲嘆反応」として出現するごくあたりまえに見られる状態で、発生から二ヶ月の間の「うつ」「色々なことへの興味の喪失」「食欲減退や不眠」など身体症状を含むこれらの反応は病気と見なさないようです。
3.精神疾患など
悲嘆反応としての「うつ」状態から深刻な「うつ病」に移行するケースもあります。災害後にPTSD(外傷性ストレス症候群)や適応障害、不安障害、物質(アルコールや薬物)依存などの症状が出ることもあります。
大事な家族、友人、同じコミュニティに属していた顔見知りの人々を災害で喪失する、死別するといった体験は心の痛み、苦しみを伴い、悲嘆反応を生じさせます。それは感情だけにとどまらず、認知、行動、身体生理的なところにまで変化をもたらすほどです。多くの人々は悲嘆反応を通過すると、それら大事な人の死を受け入れて回復する力を発揮するようになりますが、一部の人々は複雑性悲嘆・遷延性悲嘆障害と云われる状態を生じさせて、回復過程が滞ってしまうことがあるようです。
「半年以上続く強い火痛感と思慕」「現実(喪失)を受け止められない」「亡くなった人に関することへの没頭」「喪失を思い出させること、場所の回避」「自責と後悔、強い怒り」「日常生活の停滞」「社会的ひきこもり」
(以上、「災害時とその後の心の反応―総論」飛鳥井望 自殺予防と危険介入第32巻1号を参考にしました)
幸い私がお会いした被災者には、こういった重篤な状態の方が見当たりませんでしたが、やはりアルコールの問題、引きこもりの問題はその後あちこちで耳にしました。全国の自治体から派遣されてきた心のケアチームや、地域包括支援センターの保健師さんたちによる懸命な働きかけ、取り組みが実施されていたのもこの時期です。
震災から二年半近くが経過した今でも、やはり音楽療法の最中に震災の体験を思い出し(もしくは故人をしのんで)涙する方が時々いらっしゃいます。仮設住宅の部屋にこもって、談話室で開催されているイベントや自治会に顔を出さない方もいるそうです。悲しみの癒える時間は個人差があります。引き続き彼らへのケアが必要です。