5月 08

連休も終わり…

ブログをご覧くださっている皆様、いかがお過ごしでしたでしょうか?私は4日間ほど休みがありましたが、遠出もせず、雫石町や紫波町の道の駅でB級グルメに舌鼓を打ち、野菜やハーブの苗を買って畑に植える毎日でした。既に老後っぽい感じ。

野菜を植えている最中に色々な思い出が去来してきたのですが「宮古市藤畑仮設で住人の皆さんが新しい取り組みで紫蘇をプランターに植えているのを見て“種は一晩水に漬けてからじゃないと発芽しませんよ”と文字通り水をさしたこと(←うまいこと言ったつもり」「大槌町小鎚第十七仮設の畑を見て“うわー、ネギきれいに植えてますね!プロ並ですね!”と褒めたら“あれはプロである大家さんが植えたもの”と場をしらけさせたこと」など、心胆を寒からしめる自らの赤っ恥エピソードばかりでした。病は口より入り、災いは口より出ずるとは良く言ったものです。言動には十分注意しようと思います。

それはそうと(秒速で立ち直る)震災のおこるずっと前に某所で見かけたとても味わい深い画像を、ここに掲載します。

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岩手県はご存知のように訛りがあって、聞きなれない方にはちょっとわかりづらい発音なのですが、ネイティブの皆さんにとってはこれが不動の標準語であるわけです。日本語は表意文字と表音文字から成り立っている言語ですが、訛っている皆さんがひらがなやカタカナを書く際は「聞いて」「しゃべっている」音声をそのまま文字で表しますので、画像のような感じになるのですね。

私、この画像に出てくる「はづめのたのしとて」がとても好きで、この魅力があるからこそ岩手県でずっと仕事を続けていられるのだと思います。

4月 23

ラジオに出ました

事後報告ですいません…。

J-WAVEの方からご連絡をいただき、夜9時半過ぎから5分ほど、一般社団法人東北音楽療法推進プロジェクトの取り組みについて話をしてほしい、とご依頼がありました。新年度も始まり、まだまだ賛助会員を募集している我々としては非常にありがたいお話なので快くお引き受けしたのですが、何せ生番組…変なことでも口走ったら大変!ってことで、事前に質問を用意していただいたので、それ用の原稿を作りました。

Q)「東北音楽療法推進プロジェクト」というのはどんな取り組みになるんでしょうか?

東日本大震災発生から一ヶ月後の2011年4月から、被災地となった三陸沿岸の避難所などで音楽療法による支援を開始しましたが、それぞれ個人のボランティアとして長期間継続するのは経済的にも、社会保障の面からも課題が多く困難だったために、活動を行う音楽療法士数名が集まって、2013年2月に一般社団法人を設立しました。直接我々が被災者に向けて活動を行うと同時に、現地で学びたいニーズに応えるために普及や啓発のための取り組みも予定しています。ちなみに代表である私、智田が被災地で行ってきた回数は350回を超えています。
    
Q)音楽療法ということですが…具体的にはどんなことをするんでしょうか?

時期によって内容は変えました。震災発生からすぐの時期、避難所を巡回していた頃はエコノミークラス症候群を防止するために、リズムのはっきりした楽曲で体操やストレッチを中心に行いました。また、仮設住宅にうつってからは、新しい環境の中で他の住民とのコミュニケーションがとりづらく、一日中声を出せない生活を強いられている皆さんに向けて、談話室や集会所で自分の好きな懐メロや民謡を思い切り声を出して歌い、気分の発散も兼ねた集団歌唱が主なメニューとなりました。

(被災者のみなさんからはどんな反応が?)

毎回、300曲ほど歌詞を用意してお届けしていますが、思い出のある曲をリクエストする際に「これはどこそこの奥さんが演芸会のカラオケで上手に歌っていた」などのエピソードを披露してくれます。津波で流されてしまった集落の思い出を、歌によって思い出し、懐かしむという行為が被災者にとってのセラピーになっているようです。

Q)震災から3年が経過しましたが、心のケアの問題について、どうお感じになられていますか?

先月三回目の3月11日を迎えた際に、参加者から「今年の3月11日はこれまでと全く違いました。がっくりと元気が亡くなり引きこもってしまった人がたくさんいます」と言われました。仮設の暮らしが長期化して、未だに先行きが見えないということが高齢の方々に大きな重圧となっています。行政や関係機関による、もっと手厚いケアや取り組みが必要と思われます。

Q)ラジオをお聴きの方がサポートしたい場合、どういう方法がありますか?

震災から三年以上経過して、今も毎週のように被災地へ赴き、音楽による支援を継続的に行っている我々の法人に対して、ご賛同いただける方にはどうぞ賛助会員になって応援していただけたらと思います。法人のサイトに入会申し込み方法がありますので、一度ご覧いただけると幸いです。

…という内容を淀みなく、きちんと話すことができたかどうかは不明ですが…何とか無事、御役目を果たすことができました。ふいいい。聞いてくださった皆さん、J-WAVEさんありがとうございました!!

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4月 09

インタビューに答える

先週末の土曜日はトヨコさんと楽しく巡回しつつ、家に預けてきたタンタンが初めて脱走したり、午前中のあゆみ公園に地元の報道が取材に入ったりと、非常に賑やかで忙しい一日でした。

(翌日さっそくGPS発信機を買いに走りましたよ)

取材は二日後の月曜日にも受けました。その場で、これまでの経緯や変化などについて質問され、答えているうちに自分でも忘れていたこと、ぼんやりと感じていたけど言語化できなかったことなどが、鮮明にはっきりと口から出てきて、我ながらちょっとびっくりしました。三年間、ほぼ毎週末に行ってきた膨大なセッションや出会ってきた被災地の人々とのやりとり、彼らの様子の記憶は、全く失われないまま私の心と脳にしっかり刻み込まれているようです。

「被災地支援を始めようと思ったきっかけは?」

あちこちで何度も話し、文章にも書いてきましたが、震災直後にテレビのニュース番組で見た「避難所でぐったりしている人々のすぐ耳元で大音量のバイオリンが奏でる童謡“ふるさと”に両手を合わせておがむお婆さん」の映像があまりにも衝撃的だったから、と答えました。あれほど音楽が侵襲的な存在に見えたのは生まれて初めてでした。本来、音楽は人の気持ちを和ませ、人の心を今ある場所から遠いところへと運ぶ夢のような存在であるべき、と考えてきた私は「被災地で音楽を用いて支援をするということ」をじっくり考え、安易に支援に入ってはいけないと警告されたようにも感じました。それ故に、自らやみくもに現地へ向かうことはせず、現地からのニーズが生まれてこちらに支援の呼びかけがあってからにしよう、と決意しました。

「これほど長く継続してきた原動力は?」

二つあります。ひとつは宮古市第二中学校仮設へ数度訪問し、仲良くなった支援員さん(ご本人も被災して仮設暮らしをしている男性)から「ここにいる被災者は不自由な仮設暮らしから脱却するのに、あと四年はかかるでしょう。どうぞそれまで長く続けて下さい」と言われたこと。もうひとつは、大槌町の仮設でお話をしている最中に、一人の女性が「絶対に仮設の部屋で死にたくない、自分の家と呼べる場所に移るまでは死ねない」と悲壮な表情で語ったことです。その方は地元の医療関係者の訪問を断っているのに、音楽療法の時だけは外に出て他者と交流できるとおっしゃってました。彼らがいずれ自分が望む生活へと移行する日まで定期的に見回り、暮らしに潤いがあるのかどうか、健康状態は良好かどうかを見守っていく役割を担って行こうと思い、継続しています。

「挫折しそうになったことはありますか?」

中断しよう、とか終了しようと思ったことはありませんが、心が折れそうになったことが一回だけあります。それは東京から学生が被災地支援の見学に来るという朝に駅まで迎えに行く道中、正面から来た自動車がこちらに追突してきた事故に遭遇し、裁判沙汰にまでなった時です。所属していた職場の休みを利用して個人的に活動していた私は、もしもの時(事故や事件など)の保障が無いまま徒手空拳でやみくもにつっぱしっていた自分の状況に初めて気づきました。この経験がきっかけとなり、一般社団法人東北音楽療法推進プロジェクトを設立する意思を固めました。逆境のおかげで、より一層深く被災地支援へ取り組む決意ができたと思います。

「震災直後と現在を比較して、どういう変化があると思いますか」

震災直後はとにかく生活をどう立て直すのか、どう生きていけばいいのかが最優先課題でした。今もある意味そうですが、いつ仮設の生活から脱却できるのか将来の展望が持てない現在は、どう暮らしていけばいいのか、という漠然とした靄のような不安に向き合って日々を過ごさなければならない状態にあります。私の師匠的存在である精神科医の松井紀和先生が私の活動を見に来てくださったときに、言ってくれた言葉が「津波という辛い喪失体験をした彼らにとって、君のやっている楽しい音楽療法という体験の積み重ねが大事だ。音楽療法士の得意技は直感を信じる力、感じるままにやっていきなさい」でした。被災地支援の音楽療法という未知の領域で孤軍奮闘していた私にとって、何より力づけられる言葉となりました。3年経過した今、継続的に関与してきた仮設の皆さんは、私のやっている活動に来ると「これからどういうことが起こるのか」の見通しがつき、それを楽しみに日々過ごすことが出来ると言ってくれています。

…以上のような質問を受けて、これらのような答えを言ったような気がしますが、文章のようには理路整然では無かったかと思います。でも、たまにこうやって人に話すのは大事ですね。整理が出来て、発見もあります。

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4月 03

避難所や仮設住宅で教わった名曲 4

「歌と音楽のサロン」では始まる前に参加してくださる皆さんへ歌のリストを配布しております。このリストは仮設巡回の間によせられたリクエストをもとに作成したものですが、その後も続々と知られざる懐メロがどんどんリクエストされ続けてきました。
そろそろリスト、作りなおさなくちゃねえ。なすちゃん。
(プレッシャーかけてみる)
今までによせられたリクエスト曲は下記の通りです。
支那の夜
おまえに
雨に咲く花
玄海ブルース
知床旅情
浜辺の歌
おいらの船は300トン
一人の小さな手
盛岡ブルース
竹とんぼ
木曽路の女
風雪ながれ旅
津軽恋女
坊がつる讃歌
ふるさとの話をしよう
おんな船頭唄
岸壁の母
津軽平野
佐渡おけさ
みだれ髪
伊豆の佐太郎
小島通いの郵便船
花と竜
大ちゃん数え唄
あの鐘を鳴らすのはあなた
三つの歌(ラジオ番組主題歌)
君は海鳥渡り鳥
恋の町札幌
北の旅人
恋人もいないのに
夕焼け雲
別れの予感
空港
三百六十五夜
瞼の母
北の三代目
イヨマンテの夜
十九の春
りんごのふるさと
雨の大阪
北の漁場
明日という日が
南部蝉しぐれ
ふるさとは今もかわらず
一本松
泰の娘
夫婦坂
まつり
浪花節だよ人生は
島のブルース
大槌町民歌
春の歌(野口雨情)
船方さんよ
踊り子
古城
達者でな
矢切の渡し
雨酒場

骨まで愛して
若いお巡りさん
カエルの歌
ミネソタの卵売り
島の娘
片恋酒
雨酒場
津軽じょんがら節
男船
明日があるさ
大利根月夜
世界に一つだけの花
サライ
夫婦一生
六兆年と一夜物語
ふるさと(嵐)
私が呼吸する時
祝い酒
ふるさとの灯台
下田夜曲
船頭可愛や
天龍下れば
山の吊橋
夕日の波止場
大井追っかけ音次郎
長良川艶歌
お吉物語
雪椿
人生いろいろ
鳳仙花
浪花恋しぐれ
旅の終わりに
波止場しぐれ
ああダムの町
風やまず
ガード下の靴みがき
人生一路
鳥取砂丘
津軽のふるさと
スキー
うそ
ひえつき節
君は心の妻だから
…すでに数曲は書き終えましたが、なにせ膨大な量なので、これらの歌詞を模造紙に書く作業はかなり時間がかかりそうです。こればかりは人任せに出来ないので、私が頑張らなければならないのですが…もう少々お待ちくださいね。
(今度は自分にプレッシャーが)
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4月 02

被災地で使用した曲ランキング2014

以前にも同じ趣旨の記事を書きましたが、あれから一年半…膨大なセッション数((350回)の記録を集計して、三陸の仮設で行った音楽療法における人気の曲ランキングができました。
前回のランキングと比較してみると、ずいぶんとリクエストの内容が変化してきたことがわかります。一番わたしが実感しているのは、以前よりも個人個人の好みが活動中に表出しやすい雰囲気になっていることです。回数を重ねることで、セラピストと対象者の距離が縮まり、より自己開示が可能になってきているのではないでしょうか。
ではどうぞ、御覧ください!
1位 きよしのズンドコ節(氷川きよし)
…7回に1回はリクエストされるくらい人気です、きよしファン多し!あと、曲が軽快で馴染み深いので、皆さんノリノリで歌って下さいます
2位 二輪草(川中美幸)
…実はズンドコ節と同率1位
3位 青い山脈(藤山一郎・奈良光枝)
…居酒屋における「とりあえずビール」みたいな立ち位置の曲です
4位 お富さん(春日八郎)
…宴会における「鍋の後のシメ」みたいな立ち位置の曲です、いつも「しっとり終わりましょうか、賑やかに終わりましょうか」と皆さんに聞いて答えが後者だった時に良くこれが挙がります
5位 港町十三番地(美空ひばり)
…沿岸の皆さんにとっては馴染み深く愛着のある歌です。宮古市の鍬ヶ崎にも「港町」という地名があるみたいですよ、十三番地までは無いようですが
6位 喜びも悲しみも幾歳月(若山彰)
…映画の原作となった手記には宮古市の重茂半島にある魹ヶ埼灯台が出てくるので、三陸の皆さんにとってはご当地ソングという感覚があるようです
7位 リンゴの歌(並木路子)
…ド定番ですね、あとあてふりでお馴染みです
8位 お座敷小唄(和田弘とマヒナスターズ)
…これも明るくシメる時に良く挙がります
9位 憧れのハワイ航路(岡晴夫)
…原曲のイントロ、原曲のコード進行で再現しないと気分が出ない曲です、みんなでハワイに行けたらいいなーと良く話しながら歌います
10位 北国の春(千昌夫)
…陸前高田市出身の大歌手、千昌夫の国民的大ヒットは春夏秋冬を問わずリクエストが出ます
11位 命くれない(瀬川瑛子)
…瀬川瑛子のモノマネしながら歌うと盛り上がります
12位 だんな様(三船和子)
…専門的な話ですが、レパートリーの中では最も音域が広い曲なので、対象者によってどこのキーにするかいつも冒頭で悩みます
13位 月がとっても青いから(菅原都々子)
…小千谷縮のようなちりめんビブラートで歌うと再現率が高いです
14位 南部蝉しぐれ(福田こうへい)
…岩手県出身のニューホープ、大人気です。最近新曲が出たのでこれも売れてほしいですね
15位 花は咲く
…いろいろ心配はありましたが、皆さん無邪気に「これ被災者のための歌なんだよね」と嬉しそうにリクエストされます。泣く人や悲しむ人はあまりいません
16位 高校三年生(舟木一夫)
…元祖御三家は根強い人気です
17位 アンコ椿は恋の花(都はるみ)
…大島の歌なのに、何故か皆さんご当地ソングっぽい扱いでリクエストされますね、謎
18位 好きになった人(都はるみ)
…都はるみの歌は、自分で歌いあげると得も言われぬ爽快感があるようです
19位 木曽路の女(原田悠里)
…仮設の方から「今度この曲お願い」と言われてレパートリーに加えましたが、その場所以外でも非常に人気の高い曲で、すっかり定番となりました
20位 北上夜曲(和田弘とマヒナスターズ)
…岩手県民にとって大事なご当地ソングです
21位 さざんかの宿(大川栄策)
…「これ、不倫の曲だよねえ」と歌う前後に話題になります。惚れた腫れたの色っぽい曲も、だいぶ時間がたってから皆さん歌える心境になったようです
22位 宗右衛門町ブルース(平和勝次とダークホース)
…軽快でダイナミックなイントロからたたみかけるような出だしが、皆さんの気持ちを鼓舞させるようです
23位 湯島の白梅(小畑実・藤原亮子)
…「勘太郎月夜歌」と並ぶ戦前歌謡の定番ソングです
24位 かえり船(田端義夫)
…三陸沿岸は漁村が多く、元漁師の方やその妻だった方が参加してくださいます。船に関係する歌、漁に関係する歌はとても喜ばれます
25位 ここに幸あり(大津美子)
…実際に大津美子の歌っている姿を見て「原曲はこんなに脂っこい歌い方なんですね」とショックを受けていたアシスタントなすちゃん
26位 大阪しぐれ(都はるみ)
…都はるみの人気すごいですねえ
27位 トンコ節(久保幸江)
…こういったお座敷系の色っぽい歌は盛り上がります
28位 勘太郎月夜唄(小畑実)
…地域の演芸会では股旅物とマドロスの踊りが定番だったようで、この歌を歌うとどこからか「ほれ、☓☓さん踊れ!」という掛け声や野次が飛びます
29位 上を向いて歩こう(坂本九)
…大人しめの仮設で「何か元気の出る歌がいいわ」という雰囲気でこの曲が挙がります
30位 岸壁の母(菊池章子)
…二葉百合子のセリフを諳んじて言える方もちらほら
もしこれから三陸の被災者向けに音楽のイベントを企画している方がいらいたら、ぜひこのランキングを参考にプログラムを考えてくださると嬉しいです。
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